これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
甲状腺の話をしよう。 甲状腺は、組織学的に独特の形態を有する瀘胞と、間質から成っている。 瀘胞にはコロイドと呼ばれるゲル状の物質が充満しているが、この「コロイド」は「膠様」という意味であって、紛らわしいがチンダル現象などを呈するコロイドとは意味が異なる。 さて、細胞の観点からいえば、瀘胞を形成する瀘胞上皮と、間質にいる C 細胞とが甲状腺に特有である、と、教科書には記載されている。 このうち瀘胞上皮は甲状腺ホルモンの産生を担い、C 細胞はカルシトニンの産生に与るという。 ただし、細胞の分類というのはたいへん恣意的なものであることに注意を要する。
正直に告白するが、私は、つい最近まで、甲状腺ホルモンの生成過程をよく理解していなかった。 昔、組織学や生化学だかを修めた時に一応は学んだはずであるが、完全には我が物としていなかったために、歳月の経過と共に忘却したのであろう。 要するに、単なる怠慢である。 甲状腺ホルモンの生成機序は、伊藤隆『組織学 改訂 19 版』(南山堂; 2005). にも記載されているが、こういう話は藤田『標準組織学 第 5 版』(医学書院; 2017). の方が詳しい。 しかし、その『標準組織学』でさえ、説明が不完全で、充分に合理的な説明にはなっていない。 いくつかの文献を総合すると、全体像は次のようなものである。
まず、瀘胞上皮がサイログロブリンを生成して瀘胞腔に放出する。その結果、ゲル状のコロイドが形成される。 さらに、瀘胞上皮はペルオキシダーゼを有しており、ヨウ素を活性化して瀘胞腔に放出し、結果としてサイログロブリンのチロシン残基がヨウ化される。 ヨウ化チロシン同士はエーテル結合し、トリヨードサイロニン (T3) やチロキシン (T4) となる。 生化学をキチンと勉強しなかった人は、教科書を開いて、T3 や T4 の構造を確認されると良い。 瀘胞上皮は、甲状腺刺激ホルモンの刺激などに反応してサイログロブリンを細胞内に取り込み、加水分解して T3 や T4 を「解放」する。 これが細胞外に放出され、血中甲状腺ホルモンとなるのである。
問題は、ヨウ素は、どこで活性化するのか、という点である。 伊藤の『組織学』は 「ヨードは細胞内 (註: 瀘胞上皮細胞内) でペルオキシダーゼ thyroperoxidase によって酸化され活性型ヨードイオンとなる.」と述べている。 一方、藤田の『標準組織学』では 「ヨードが蛋白質と結合する場は, 瀘胞腔の中である」としている。 これは、放射性ヨウ素を用いた実験結果に基づく記載であり、瀘胞上皮細胞内では、サイログロブリン以外の蛋白質ともヨウ素は結合していない、という意味である。 ところが、その直後に藤田は 「この反応には, 水解小体 (註: リソソーム) に含まれるペルオキシダーゼが働く」と述べている。 リソソームは細胞内小器官であるから、瀘胞腔には存在しない。記述が混乱しているのである。
常識的には、活性化したヨウ素が蛋白質と結合することなしに瀘胞腔へと輸送されるとは思われない。 従って、藤田が引用した実験結果を信じるならば、ヨウ素の活性化は瀘胞腔で起こっていると考えるべきであり、伊藤の記載は誤りだということになる。 なお、医学書院『医学大辞典 第 2 版』によれば、ペルオキシダーゼは膜蛋白質であり、瀘胞腔側に多いというが、これだけでは伊藤説と藤田説のいずれとも矛盾しない。
こうなると、教科書の記載の根拠となったであろう文献をみる必要がある。 あいにく、本件についての重要論文の一つが我が北陸医大 (仮) に所蔵されていないので、現在、図書館に取り寄せを依頼中である。 到着したら、続きを書くことにしよう。