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2018/04/06 前立腺癌と基底細胞過形成

医学の話をしよう。前立腺癌についてである。 前立腺癌を疑う臨床所見としては、直腸診における所見として前立腺が大きく硬くなっている、というようなものもあるが、むろん、感度も特異度も低い。 経直腸超音波検査も、前立腺過形成と前立腺癌を正確に鑑別するのは難しい。 血液検査では、PSA (Prostate-Specific Antigen) が前立腺癌マーカーとして測定されることが多いが、結果の解釈が難しい。 癌以外の原因で PSA 高値になることは多いし、逆に、PSA 低値でも癌は多いのである。 実際、PSA 高値であることから前立腺癌を疑われて生検をしたところ、既に前立腺癌が非常に大きくなっていた、というような事例は珍しくない。 PSA 値をみるだけでは、早期発見に失敗することが多いのである。 そういった事情から、内科学の名著 Kasper DL et al., Harrison's Principles of Internal Medicine, 19th Ed. (McGrawHill; 2015). は、 PSA 値に cutoff 値を設けることはできない、としている。 さらにいえば、前立腺癌には latent 癌も多いので、癌があったとしても治療するべきかどうかは、実は難しい。

医学科の高学年生であれば、前立腺癌の特徴として「二相性の喪失」があることを知っているだろう。これは「二層性の喪失」と書かれることも多い。 すなわち、正常の前立腺は分泌細胞と基底細胞の二種類の細胞によって形成されているが、通常、癌化するのは分泌細胞である。 分泌細胞が腫瘍性に増殖するとき、基底細胞の反応性過形成を伴わないらしく、結果として、基底細胞を伴わない腺管が形成され、これを「二相性の喪失」と呼ぶのである。

これは、不思議な話である。 前立腺過形成の場合には、分泌細胞と基底細胞とが共に増えるのに、癌の場合は違う、というのである。 なお、前立腺過形成は臨床的には「前立腺肥大」と呼ばれることもあるが、正しくは肥大ではなく過形成である。 最近では、そのあたりに気を遣って prostatic hypertrophy ではなく prostatic hyperplasia と記載している臨床の教科書も増えているようである。 一方、日本語で書かれた組織学の教科書として双璧を成す伊藤隆『組織学 改訂 19 版』と藤田・藤田『標準組織学』は、 いずれも「前立腺肥大」という表現を用いており、遺憾である。

ところで、前立腺には基底細胞過形成、と呼ばれる変化がみられることもある。 これは、通常は単層である基底細胞が反応性変化により過形成して多層になるものであるが、 Mills SE, Histology for Pathologists, 4th Ed. (LWW; 2012). によれば、通常は管腔側に単層の分泌細胞を伴っている。 この基底細胞過形成は、1983 年頃には「稀な良性病変」と認識されていたようであるが (Am. J. Clin. Pathol. 80, 850-854 (1983).) 前立腺癌に対するホルモン療法を行うと、反応性変化として高頻度に出現する (Am. J. Surg. Pathol. 15, 111-120 (1991).)。 ただし、そのことは上で引用した Mills の教科書には記載されていない。

なぜ、癌では分泌細胞のみが増え、ホルモン療法後には基底細胞のみが増え、前立腺過形成では両者が増えるのか。 このあたりについて、遺伝子の発現具合の変化を調べた報告はあるが (Prostate 77, 1344-1355 (2017).) 機序について何らかの仮説を唱えるには、到底、至っていない。


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