これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/06/12 病理診断と医行為

だいぶ間隔があいた。よろしくない。

日本においては、病理診断は医師しか行うことのできない「医行為」である、とされている。 病理診断とは何か、というような素人向けの説明においては、ほぼ必ず、このことに言及されている。 何が医行為で何が医行為でないのか、という問題について無頓着な医師は多いようであるが、臨床検査技師などは厳しく教育されている。 たとえば、病理部の臨床検査技師は、自分で検鏡して病名を確信したとしても、公には、それを口にしない。 臨床検査技師が診断を行えば医師法違反になるからである。 これは腹部超音波などの生理検査においても同様であって、臨床検査技師は、頭の中では診断を行いながら検査しているのであるが、報告書には、絶対に診断名を書かない。

病理診断は医行為である、という説の根拠は、平成元年に日本病理学会が厚生省に対して行った疑義照会に対する回答 (医事第 90 号; 平成元年 12 月 28 日) である。 私は以前、この回答文の全文をインターネット上で読んだように思うのだが、今検索しても、みあたらない。もう少し探してみようと思う。 この回答の要旨は、組織標本をみて所見を述べるだけであるならば血液検査などと同様に臨床検査技師が行って良いが、 それに基づいて病名をつける、診断する、という行為には医師免許が必要である、ということである。 この厚生省の見解は、現在に至るまで変更されておらず、今でも有効である。

さて、私は週に 8 回か 9 回ぐらい、病院の食堂で食事をするのだが、しばしば、某外科系教授に遭遇する。 教授は、いわゆる「がんゲノム医療」制度の運用開始を引き合いに出し、「これから、ますます病理の重要性が増す」と述べ、「よろしく頼むぞ」というようなことを言っている。

がんゲノム医療、と呼ばれる枠組は、簡潔にいえば、癌のゲノムを調べ、有効そうな薬を選んで投与する、というものである。 なお、この「有効そうな」という言葉には、かなりのマヤカシがあるように思われる。それについては過去にも少し述べたし、また別の機会に詳しく書きたい。 とにかく、この「がんゲノム医療」においては、いわゆる次世代シークエンサーや免疫染色などを駆使することになる。 先の教授が言っているのは、特に免疫染色標本に基づく診断について、病理医の働きが重要である、という意味であろう。

が、冷静に考えると、これは、かなり怪しい。 免疫染色で遺伝子発現をみる、というのは、要するに「染まっているか、染まっていないか」を判定する作業であって、それ自体には医学的判断は含まれていない。 上述の厚生省見解でいう「所見を述べるだけ」の行為であって、医行為ではない。理屈としては、医師免許を持たない臨床検査技師でも行うことができる。 すなわち、教授の言葉とは裏腹に、実は「がんゲノム医療」は、我々病理医の存在意義を脅かすものである。

むろん、我々の仕事が価値を失ったのであれば、我々が廃業すれば済むことである。 実際、免疫染色の結果を読む作業自体は、臨床検査技師に任せてしまって良いと思う。 そもそも標本を読んで、パターン認識に基づいて病名を当てる、などという作業は、もはや、人間が行うべきものではなく、コンピューターに任せた方が速く、しかも正確である。

では、病理医は、何をするのか。 それについては、また別の機会に書くことにしよう。


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