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2018/04/03 蛋白分解酵素阻害薬と「エビデンス」

近年の医療界では evidence-based medicine (EBM) という語が好んで用いられている。 キチンとした学術的根拠に基づいて医療を行うべきだ、という意味合いである。 ところが、この「エビデンス evidence」という語の意味は曖昧である。 一応、教科書的にはランダム化比較対照試験や、いわゆるメタ解析などは「エビデンスレベルが高い」つまり信頼性が高い、とされることが多い。 しかし、たとえ二重盲検ランダム化比較対照試験であっても、試験の設計次第では、不適切な結果が意図的に、あるいは意図せずに、誘導されることもあるという事実は、 これまで何度も書いた。 また、現実には、ランダム化や盲検化が不充分で、プラセボ効果や観測者バイアスが大きいと思われる臨床試験も多い。 さらに、理論を軽視して統計が全てであるかのように考える者の少なくないことも問題である。

過日、図書館でたまたま、看護師向けの、診療のエビデンスを解説した本をみかけた。 薄い本で、イラストを多用し、「わかりやすく」さまざまな状況における治療のエビデンスを簡略に解説した書物である。 その中で気になったのが、急性膵炎に対する蛋白分解酵素阻害薬の投与についてである。 症例によって蛋白分解酵素阻害薬を使ったり使わなかったりするのはなぜか、というような項目を設け、その適応条件を「解説」していたのである。

日本では、急性膵炎に対し、蛋白分解酵素阻害薬と称される薬剤を投与することが少なくない。 膵由来の消化酵素の異常活性化による組織傷害を防ぐためである、というのが、その「理論的根拠」である。 ただし、その有用性は統計的には確認されていない。 朝倉書店『内科学』第 11 版によれば 「治療成績向上における明らかな有効性が示されていないことから, 2015 年に改訂された『急性膵炎診療ガイドライン』でも明確な推奨を受けておらず, その適応条件を明らかに示すことが今後の課題となっている」とのことである。

そもそも「蛋白分解酵素阻害薬」という呼称からして、「止血薬」と同様の胡散臭さがある。 「抗プラスミン薬」ならわかるが、「止血薬」となると、実にインチキくさい。 まともに生理学や薬理学を修めた者であれば、そんなもの、あるはずがない、と感じるであろう。 同様に、もし「蛋白分解酵素阻害薬」なるものが本当にあって、それを充分に全身投与したならば、たぶん、患者は死ぬ。 蛋白分解酵素と総称される酵素の中には、全身の細胞の機能を維持するために重要な酵素が多数、含まれているからである。 「キモトリプシン阻害薬」などなら大丈夫かもしれないが、「蛋白分解酵素阻害薬」は、ありえない。

このような「止血薬」「蛋白分解酵素阻害薬」といったものに疑問を感じない、違和感をおぼえない人は、生理学や薬理学を勉強しなおした方が良い。


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