これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/05/22 乳癌と学会と子宮摘出

朝日新聞が、「乳癌診療ガイドライン 2018 年版」について、おかしな記事を書いている。 記事のタイトルは「遺伝性乳がん『もう一方の乳房切除も強く推奨』学会」というものであって、 ガイドラインにおいて予防的乳房切除を「強く推奨する」に変わった点を取り上げたものらしい。

そもそも記者は、ガイドラインとは何かということを、理解していないであろう。 臨床ガイドラインというのは、「正しい医療」「あるべき医療」を定めているものではないし、医学的に正しいかどうかを決めているものでもない。 診療にあたる医師のための参考意見を書いているに過ぎない。 それを、まるで「学会が言っているのだから、基本的にはそうするべきだ」と言わんばかりの論調で朝日は記事を書いているのである。 おそらく、この記者は医学や医療の素人なのであろう。 たとえば、記事の中に「手術を受けた人の死亡率が下がるとまでは言えないが、下がる傾向にあり」などという記載があることからも、この記者が統計学に無知であることがわかる。 この記載の何がおかしいのかは、過去に何度も書いてきた統計学の「よくある間違い」なので、ここでは繰り返さない。

そもそもガイドラインの記載は、遺伝性乳癌については予防切除した方が生命予後が良い、という点を根拠としている。 しかし生命予後を言うのであれば、そもそも閉経後などで、もはや授乳する機会がないであろう女性については、全例、両側乳房切除を行った方が良い。 それにより乳癌を未然に防げ、間違いなく、生命予後が改善するからである。 医学を知らず EBM (Evidence-Based Medicine) を誤解している者は「そのような臨床試験は行われておらず、エビデンスがない」などと反論するであろうが、 理論的に明らかで、疑いの余地がないのだから、臨床試験を実施する必要はない。 この場合、「理論的根拠」が充分なエビデンスなのである。 同様の論理で、子を作るつもりがない男性は全例前立腺切除を行った方が良い。精巣摘出するのも良いだろう。 陰茎も切っても良いが、もともと陰茎癌は頻度が低いから、切らなくても良い。

また、医者の中には、たとえば閉経後の女性患者などについて、子宮摘出を安易に考える者が少なくない。 癌の可能性があるが、診断が難しい、というような場合に「もう使わないのだから、取ってしまった方が良い」などと言うのである。 乳癌について、予防的切除を「強く推奨」などとするのは、これと同列の発想である。

患者が「いらないから、安全のために切ってくれ」というのなら、切ればよい。 しかし医者の側が「切ることが強く推奨されている」などと患者に勧めるのは、誤りである。 医者に「切るべきだ」と言われれば、素人である患者は「切らなければいけない」と思い込んでしまう恐れがある。 そのことに思い至らない医者は、残念ながら、稀ではないように思われる。


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