これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/08/15 進路

もとより、北陸医大 (仮) で一生を終えるつもりはなかった。 数年間、長くとも 10 年間の予定であり、その間に、私に為せるだけのことを為し、遺して去るつもりであった。 その後は、どうするのか、むろん具体的なことはわからないが、ある程度の目論見は、ある。

現在の京都大学に、私のような一度おちこぼれた者を受け入れるだけの度量があるとは思われない。私も、戻るつもりはない。 名古屋大学も、京都大学よりマシであるとは思われない。 実は、一時期、北海道大学に魅力を感じていたことがある。 解剖学の伊藤隆や、皮膚科学の清水宏、外科の某講師といった優れた人材を受け入れ、活用している同大学なら、と思ったのである。 が、過日の同大学博物館の一件で、私は、いたく失望した。

私をうまく使える場所、私が羽を広げられる場所は、やはり中小規模の地方大学であろう。

学生や研修医諸君の中には、「標準的な道」から外れることに不安を感じる者も多いであろう。 無難に出身大学に残り、無難な立場を確保し、無理のない範囲で「上」を目指すスタイルである。 私も北陸に移る際、やめた方が良いのではないか、という助言を、名古屋大学の某教授からいただいた。 私を心配してくださったのである。

しかし、よく考えると、そういうエラい先生方は、これまでの古い時代、旧世紀を生きてきた経験から物を言っているだけである。 センセイ方が、今後のことを、我々よりもよく見通しているとは思われない。 なにより、あたりまえのことであるが、その選択が本当に「無難」であるという保証はなく、その選択が引き起こす結果について、彼らが責任をとってくれるわけでもない。

名古屋大学の病理には、私の元同級生のうち 5 人ほどが残ったらしい。彼らは皆、学生時代から優秀であった者ばかりである。大豊作である。 彼らが私のことを、どうみているかは、知らぬ。 北陸に「都落ち」した私を、道を踏み外した阿呆、ぐらいに思っているかもしれぬ。 あるいは逆に、底知れぬ不気味さを感じているかもしれぬ。

ふりかえってみれば、私は麻布高校、京都大学、名古屋大学、と、まぁ、世間の評価からすれば「名門」とされるような所を歩いてきた。 その 30 年間で得た最大の収穫は「いわゆる名門というのは、実は大したことがない」という実感である。 「名門」には、とても優秀な人が比較的高い頻度でいる、というだけのことであって、「名門」にいる人の大半は凡庸である。 「名門」に入ったからといって優秀になれるわけでもなく、逆に、地方の弱小組織にも驚くほど優秀な人がいる。 さらにいえば、その「優秀な人」というのも意外と大したことがなく、 物理学の歴史に名の残るヴォルフガング・パウリやニールス・ボーアでさえ、雲の上というほどの高みにいるわけではない。 これらを言葉の上だけでなく、実感として心の底から理解できたことは、京都大学で得た最大の宝物である。

まぁ、北陸医大を離れた後の行き先候補としては、いくつかの大学を念頭に置いているが、具体的にはまだ書かない方が良いだろう。


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