これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/08/14 腎生検

腎生検を苦手とする病理医は多いと聞く。 腎生検は主として非腫瘍性病変の診断であり、形態的多様性に富んでいることに加え、 蛍光顕微鏡や電子顕微鏡の所見と併せた診断が基本であるから、通常の光学顕微鏡だけでは診断不能なために、多くの病理医が苦手としているのだろう。

腎生検の入門書としては、Medical view 社の『腎生検診断 Navi 改訂第 2 版』が読みやすい。 この Medical view 社というのは、「わかりやすい」書物を得意とする出版社であって、学術的に高尚ではなく、平たくいえば低俗な出版物が多い。 上述の書も、読みやすいが学術的ではなく、読んで楽しいものではない。 が、やむなく、このような書物に頼っているのが私の現状である。 本当であれば Jennette JC et al., Heptinstall's Pathology of the Kidney, 7th ed. (Wolters Kluwer; 2015). などのキチンとした 書物で勉強するのが筋なのだが、そこまで手がまわっていないのである。 とはいえ、私は、この現状を肯定する気はなく、自身が低俗な書物に頼っていることを恥じる心を忘れぬために、その事実をここに記載し、 その一方で『腎生検診断 Navi』に対する批判を述べようと思う。

この日記は、一応は匿名である。自分の素性を隠しながら具体的な書名を挙げて攻撃することは卑怯である、とする意見もあるだろう。 しかし、書物を著し、それを世に公表する以上は、それに対する批判を受けることは覚悟するべきである。 「批判するなら名を名乗れ」というのは、反対意見を封殺しようとする圧政者の常套手段に過ぎず、何らの正当性も合理性もない。 正しいことは誰が言おうと正しく、間違っていることは誰が言おうと間違っている。 単なる罵詈雑言を匿名で発するのは卑怯であるが、事実を摘示した上での批判であれば、「誰が言っているのか」は問題ではない。 むろん、批判に対して怒ることは自由である。それが言論というものである。

『腎生検診断 Navi』の中で、最も腹立たしい文章は「はじめに」である。 一部を抜粋すると、そこには、次のように記載されている。

医学の進歩に伴い、情報量が急速に増えている現在、覚えなければいけないことが多すぎて今の若い人たちは気の毒なくらいです。

この本には必要最低限の情報しか入っていませんのでここに掲載している病変はすべて頭に叩き込んでください。

まず第一に、「覚えなければいけないこと」というものが、本当のところ、どれだけあるのかは疑問である。 それは過去にも何度か書いたし、これからも書くであろうが、知識などというものは、書物やコンピューターの中に保存されているのであって、 必要に応じてそれを検索すれば済むことである。 私は 15 年ほど前の京都大学で、大事なのは知識ではない、知恵である、と教わった。その教えは、医師となった現在でも大いに活きている。

それはさておき、仮に「覚えなければいけないこと」が多かったとしても、それで「気の毒」とは、どういうことか。 医師というものは、医学を修め、それを実践することに人生の喜びと目的をみいだした人種ではないのか。 それを「気の毒」とは、医学と医療、そして医師の誇りを侮辱するものに他ならない。 「筆が滑った」で済むものではない。

第二に「頭に叩き込んでください」とは、どういうことか。 この『腎生検診断 Navi』には、形態学的特徴は記載されているものの、病理学的考察や議論は一切、掲載されていない。 単なるパターン認識に基づく分類法簡易マニュアルに過ぎない。 それを「頭に叩き込む」という作業が、はたして、本当に医学なのか。それが病理学なのか。病理診断学なのか。

もし私が著者であったならば、このような書物の「はじめに」には、次のように書くであろう。

この書物には、診断にあたって「便利」な知識だけをまとめてありますが、これらは、あくまで表面的な内容に過ぎず、病理学的本質からは、残念ながら、かけ離れています。 ですから、このような「便利」な知識に頼って医学的判断をすることは、本当は、好ましくありません。 `Heptinstall' のような、キチンとした成書を読むべきです。 しかし、そのような時間を確保できない人々が、やむなく代用手段として、緊急避難的に使うことを目的に、この本を書きました。 この本の内容を盲目的に信じてはいけません。 疑問を持つこと、キチンとした文献で調べること、考えること、そして新しい道を拓くことこそが、医学であり、医師の務めなのです。

本当は著者氏も、私と同じようなことを考えているのではないか。 ただ、それでは昨今の若い学生や医師に煙たがられるから、本音を隠して迎合しているのではないか。


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