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昨日紹介した『札幌農学校』には、野心と大志に満ちた文章が多い。 しかし、この書物が刊行されて百余年が過ぎても、なお、北海道大学が京都大学や東京大学を遥かに凌駕し、東洋あるいは世界の学問の中心となり、 「東西文明史に少なからず影響を与へん」というほどの偉大な大学になったようには、思われない。 なぜだろうか。
この『札幌農学校』の「第四章 札幌帝國大學設立の必要を論ず」は、次のように始まる。
生物進化の大勢は顕然としておおうべからず。社会は一種の有機体なり。 十九世紀の文明は古来世界文明史が未だかつて達する能はざりし頂点を究めたりき。 しかも文明進化の大勢はこの十九世紀をもって目的の彼岸となさず。 今より数年を出でずして二十世紀生れんか、世界の舞台は旧世紀を伴て一転し去り、文明は新舞台に立てまさに大に活動すべし。 しかして文明活動の日は平和的生存競争の最も激烈なるの秋なり。 しかりといえども文明の為す所は必しも善ならず。 人類の平和は遂に戦争を尽滅する能はず。 人種の競争はますますその度を高むべく老国の分裂は一掬の涙を受けざらん。 しかり、強はいよいよ暴威を逞うし、弱はますます塗炭に苦まん。 今や文明の東漸と共に、東洋の天地は世界大勢の渦輪中に捲込まれ、人目集注の焦点となり、二十世紀文明の活動場と化し去りぬ。 この時に際し帝国国民たるもの、耐忍奮励し、富強の実を挙げて以て国家百年の長計を建てざるべからず。
この段落の前半は名文である。人類進化を論じ、平和と戦争を語り、未来の課題を描いている。 が、最後の一文において、論題を大日本帝国内部の問題に限定してしまった点が遺憾である。 すなわち次の段落以降は、我が帝国の繁栄のために札幌帝国大学を設立すべきである、というような矮小な議論に終始し、 学問の発展、人類の繁栄のため、という視点を失っているのである。 ただし、昨日の記事で引用した格調高い文章は、実は、この「第四章」の末尾にあたる。 すなわち著者は、帝国大学設立を論じるために、やむなく、低俗で志の小さい議論を展開したが、 それが札幌農学校の名誉を傷つけることを恐れために、世界に言及してから論を終えたのであろう。 著者は、札幌帝国大学設立を論じる中で、次のように述べている。
人或は曰はく、普通教育の必要は則ち可なり、しかも高等教育の必要を説くに至りては、機の未だ熟せざるを如何せん。 如かず、帝国大学の養成せる人材を誘ひ来りて、以て北海道の柱石たらしめんにはと。 ああ、これ殖民の何たるを解せざるの論なり。 それ北海道の事業たる、何れも草創に属し、その経営の困難なる実に内地人の予想外に出づ、深く愛土の精神ありて、百折不撓、千挫不屈、以て事に当たるに非ずんば いずくんぞよくその功を収むべけんや。 この種の人材は之を他郷の客将に求むべからず、須くその土の設備にかかる大学が養成したりし健男子ならざるべからず。 何となれば後者は永くその土の新空気を吸ひ、その土の山川気候に慣れ、愛土の念、有為の心、他に比して大なるものあればなり。 かつ北海道は内地とすこぶる風土を異にするを以て、この地の開拓者を養成せんには、須くこの地特有の学術を授くる大学の組織あらざるべからず。
すなわち、北海道開拓のための人材を確保するには札幌帝国大学が必要だ、と主張しているのである。 福沢諭吉が実学を優先したのと同様である。 遺憾ながら、これは、学問の本道にもとる。 福沢にせよ札幌農学校にせよ、眼前の課題あるがゆえに、断腸の思いで実学を優先したのではあろうが、それは結果として基礎学問を軽視することになる。 その態度は、百年の後には、とり返しのつかぬ差となって顕れる。 著者は、次のようにも述べている。
北海道は四隣寂寞として学生の誘惑に価するもの少く、外に出でて交る所は独り雄渾なる天然あるのみ。 これ北海道に大学を設立するの適当なる所以なり。
今の札幌には、すすき野がある。学生を誘惑する魔手が、そこかしこに満ちているのである。 この環境にあって、学問を修め、道を究めることは、容易ならざること明白である。
それを思えば、我が北陸医大 (仮) は、この二十一世紀になっても、なお四隣寂寞として学生の誘惑に価するものが少ない。 実は、この『札幌農学校』の文中にある「札幌」を全て「北陸」に置き換えると、現在の北陸医大を論じる文章として、何ら違和感がない。 我々の時代は、これからである。
札幌農学校出身の新渡戸稲造は、五千円札になった。 ならば北陸医大の我々も、少なくとも紙幣の肖像画ぐらいには、なれる。