これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
札幌で開催された病理学会が終わったのは 6 月 23 日であるが、飛行機の便の関係上、私が札幌を後にしたのは 6 月 24 日の昼である。 24 日の午前は、北海道大学、特に、その博物館を見学した。
北海道大学敷地を見学したならば、ぜひみるべきは、新渡戸稲造の胸像である。 新渡戸は札幌農学校の卒業生であり、後に、札幌農学校教授、京都帝国大学教授、東京帝国大学教授などとして教育や政治の面で活躍した。 主として明治期に活躍した教育者として知られるが、後藤新平と一緒に台湾で仕事をしたこともあるらしい。 新渡戸を紙幣の肖像として印刷することは、この国が教育をいかに重視しているかを示している。 というより、制定当時の官僚達が、そういう思想を持っていた、という方が正確であろう。 その精神を、現在の日本の人々が覚えているかどうかは、知らぬ。
北海道大学の敷地内の芝生には、火気の使用を禁ず、という趣旨の立札もあった。 芝生で焼肉パーティーなどを行うことを禁じているのであろう。 この立札の一つに、「禁止することを禁止する」という落書きがなされていた。これを、どう考えるか。
ひょっとすると、泥酔した学生が立札を引き抜き、勢いに任せて書き込んだだけの、くだらない落書きかもしれぬ。 しかし、ここが天下の北海道大学であることを思えば、もう少しばかり、高尚な精神が込められていると推定するのも悪くなかろう。 すなわち、我々は自ら律し、事の善悪は、己の良心と精神に基づいて判断する。当局の命令を受けるいわれはない、という気概の表明である。 札幌農学校の精神を受け継ぎ、北辺の地で学業に勤しむ若者であれば、そのくらいの志は、持っていないはずがない。
札幌農学校の精神といえば、はなはだ遺憾であったのは、博物館である。 私は 9 年か 10 年ほど前に、一度、北大博物館を訪れたことがあり、その精神の崇高なること、学問への情熱の盛んなことに、いたく感激したものである。 当時、札幌農学校の歴史を紹介する一室には、明治 31 年に札幌農学校学芸会が編纂し、裳華房から出版された『札幌農学校』という書物から引用された 次のような文章が紹介されていた。 現代人に読みやすいように漢字などは適宜挿し替えて引用するので、原文をみたい人は、 北海道大学出版会から刊行された復刻版 (ISBN 483295072X) を読まれよ。
教育の精神は須く世界的たらざるべからず。 教育に党派なく、また人種血族なし。 教育に藩閥なく、また仇邦敵国なし。 たとえ北海道拓殖上の政策よりして、札幌帝国大学を起すといえども、教育家の精神に至ては独り北海道と云はず、宜しく日本全国を裨益することを思はざるべからず、 否また日本全国に留らず、汎く世界を教育し、将来東西文明史に少からざる影響を与へんことを予期せざるべからず。 それ一国教育の中心は必しもその政治的中心と一致せず。 米国第一流の大学は、必しもワシントンに在らずして、多くニューイングランド州に在り。 英国第一流の大学は、必しもロンドンに在らずしてオクスフォード、ケンブリッジ、エディンバラに在り。 その他列強有名の大学は、必しもその首府に在らずして、かえって偏僻の地に多きゆえんのもの、教育の中心と政治の中心とは、相一致するを要せざるを見るに足らん。 吾人は信ず、我北海道は実に学問の地たり。 未だ二十世紀の中葉に至らざるに、嶄然として頭角を顕はし、東洋の北極星と成り、学術の効果を遠近東西に分与するの日あらんことを。
なお、この時点で札幌帝国大学 (あるいは北海道帝国大学) の設立は、決定されていない。 いわば札幌農学校は、僻地の小さな国立専門学校に過ぎない。 その専門学校の学生が、この格調高く、志と情熱に満ちた文章を著し、後世に遺したのである。
札幌農学校教頭として有名なクラークは、boys, be ambitious の言葉で知られている。 この ambition というのは、金持ちになるとか、出世するとか、名誉を得るとか、世間から賞賛されるとかいう意味ではない。 正しく生きること、人と社会のために働くこと、そのために能力を研き、学び修めることをいう。 これは私個人の見解ではなく、札幌農学校や北海道大学の見解でもある。
ところが、その設立当時の精神をうたった展示室は、今回の訪問時、ノーベル賞とかいうものを与えられた某という教授の業績を宣伝する内容に改装されていた。 北海道大学における地道な研究が世界に認められた、として、誇るような内容であった。
賞を与えられること、世間から認められることが、北海道大学のいう ambition なのか。