これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/09/28 近藤誠

だいぶ間隔があいてしまった。 今月の 20 日から 26 日まで、遅い夏期休暇を取得し、東北や函館に遊びに行ってきた。 これまでの慣習に沿うならば、その内容を日記に記載するところなのであるが、今回はイロイロとヒミツの旅行であったので、仔細を報告することができない。 まぁ、概略だけは、いずれ書くかもしれない。

さて、その旅行中に、近藤誠氏に関する噂を耳にした。 近藤誠医師については、過去に何度か書いたが、 いわゆる「がん放置療法」などを唱え、医師などから猛烈な批判を受け続けている人物である。 その近藤氏が、どうやら過日、テレビ出演したらしく、その内容が医学的にデタラメだ、という批判を受けているらしい。

私は、そのテレビの内容の詳細を知らないのだが、要するに the New England Journal of Medicine という娯楽雑誌だか何だかに掲載された医学研究データを、 自分の主張に沿うように都合よく歪曲して解釈し、説明したらしい。 それに対し怒った医師などが批判を加えているようである。 ただし、これは私が伝聞に基づいて推定した内容であるので、事実とは少し異なるかもしれない。

私も過去に何度か書いたが、近藤氏の主張は、医学的にはデタラメであり、到底、受け入れることはできない。 しかし、彼を批判する側も、なぜ彼がそのような主張をし、なぜ少なからぬ患者がそれを信じるのか、という部分を理解せず、 単に医学的な正誤のみを論じて近藤氏を叩くのでは、問題は解決しない。

近藤氏の行動の原動力は、現在の医学界に蔓延する患者軽視の風潮に対する怒りであろう、ということは 2013 年2015 年に書いた。

現在においても、インフォームドコンセントを欠いた違法な診療行為は、極めて広く蔓延している。 たとえば、癌について「手術しなければならない」と医師が説明したとすれば、それは違法である。 手術するかどうかの判断・決定は、患者の価値観・人生観などに基づいてなされるべきであり、原則として患者自身に委ねられるものだからである。 医師が「手術により癌を完全に取り去れば、余命の大幅な延長を期待できる」というような客観的事実を説明するのは適切、というより当然であるが、 「手術が必要である」あるいは「手術するべきである」という価値判断を医師が行ってはならない。 ところが現実には、手術をするべきかどうかを医師が判断して患者に説明する、というような、患者の自己決定権をないがしろにする「医療」が蔓延している。 患者の側も、それに疑問を抱いていない場合が少なくないようである。 しかし、こうした医師の判断に同意するだけの「承諾」はインフォームドコンセントではなく、 従って法医学的には患者の承諾を得たことにはならず、その医療行為の違法性を阻却することができない。

そうした患者軽視の歪んだ医学界に対し挑戦しているのが、近藤氏なのである。 しかし遺憾なことに近藤氏は、医学者としては抜群に優秀というわけではないらしく、明確な学術的根拠を示して戦うことができていない。 本来であれば、そのような基本的学識に乏しい者は最前線の学術論争に加わる資格がない。 ところが現在の日本では、既存の医療に対し問題意識を有する医師・医学者が極端に少ないため、まともに戦うことのできる者がおらず、 近藤氏のような力不足の医学者でも前線に立たなければならない、というのが現状である。 力がないのに前に立たねばならない近藤氏の苦しみを、諸君は、理解しているのか。

臨床医の仕事は、患者が何を求めているのかを理解するところから始まる。 これは、患者が言葉にはできていない本当の求めを理解する、という意味である。 そういう仕事を日々、行っているような医者であれば、どうして、近藤氏に対して表面的な「医学的事実」に基づく批判を行うだろうか。


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