これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/09/16 学会発表の場数を踏む

学生や研修医など若手医師に、学会での発表経験を積ませようとする指導者が、少なくとも北陸医大 (仮) には多い。 学生や研修医の側にも、そういう発表経験を重ねることを重視する者が少なくない。 この風潮は、非常に危険である。 質の低い経験を積むことは、有害だからである。

発表内容について、充分な考察は重ねたのか。発表技術についての指導は行われているのか。発表の練習は充分であるか。 「キチンとやっている」と主張する者もいるが、諸君のいう「キチンと」は、水準が低い。

そもそも発表の目的が曖昧で、医学的考察が甘く、発表すること自体が目的になっているような例が多い。 その結果、発表を聞いても、何を言いたいのか、わからないのである。むろん、つまらない。 手元の原稿に目を落としながら発表する者もいる。 ひどいのになると、ポスター発表なのに当日の午後になってようやくノロノロと掲示する例まである。

細かな技術についていえば、たとえば症例報告をする際に、既往歴や薬剤歴についてスライドに列挙した上で口頭では「以下の通りです」と述べるに留める者がいる。 何も考えていない証拠である。「以下の通り」では、何もわからないではないか。 今回の発表に関係するようなものがないなら、その旨を明言するべきであって、それを省くのは怠慢である。 また、検査所見の単位の扱いや、「ワイセ」などの不適切な表現や「あがる」などの誤った日本語については、過去に何度も指摘した。 正しい言葉を使わず、定義が曖昧で漠然とした表現を用いて、だいたい伝わるでしょ、などという不誠実な態度で発表しているのである。

水準の低い発表が臨床医学の分野でまかり通っている最大の原因は、指導者側の力量不足であろう。 発表技術を教育する能力が乏しいのである。そもそも、その指導者側が発表下手なのだから、無理もない。

学生や研修医が発表する時、あなた方は、その指導に、どれだけの時間を割いているのか。 「忙しいから」と、その時間を省こうとしていないか。 さらにいえば、北陸医大 (仮) の場合、指導者が発表スライドやポスターを作り、それに沿って学生や研修医に発表させる例があるのを私は何度もみたことがある。話にならない。 それで、あなた方は指導者といえるのか。教育者といえるのか。 診療や研究を優先するあまりに教育を疎かにするぐらいなら、大学教員たる資格がないので、速やかに退職すべきである。

基礎医学や医学以外の分野であれば、たぶん、どこも同じような状況だと思うのだが、私の大学院時代の発表次第は以下のような要領であった。 まず、発表する学生 (大学院生) がスライドを作る。 あたりまえだが、これは完全に学生が自力で作る。 そのスライドに基づいて、まずは研究室全員が集まった場で発表し、それについて全員で質問や批判・指導を行う。 ここでは、発表内容の論理構造は大丈夫なのか、言葉の遣い方は適切か、など、助詞の一つに至るまで緻密な指摘が行われる。 「何を言いたいのか、全くわからん」というような辛辣な発言が出ることも多い。 だいたい分かってくれるでしょう、というような甘い態度は、むろん、許されない。 発表時間が 10 分程度であれば、こうした議論に 1 時間ぐらいはかかる。 内容が稚拙である場合には、2 時間ほどかかることもある。 それらの議論をふまえて、学生はスライドを作りなおし、また全員の前で発表する。今度は、議論も短くて済む。

過日、ある会合で、学生や研修医を対象に発表する機会があった。 その発表スライドを、事前に知り合いの看護師にみてもらったところ、「何を伝えたいのかわからない」というコメントをいただいた。 この看護師は修士課程経験者であって、学術研究の基礎は習得している人物である。 私が「こんなもので、よかろう」と甘い気持ちでスライドを作ったことを見抜き、的確に指摘したわけである。

勘違いしている者も少なくないようなので明記しておくが、諸君の発表技術は、看護師以下である。 さらにいえば、医師が看護師より劣ることは周知の事実である。 たぶん、上述の看護師氏であれば、「何を当たりまえのことを言っているのですか?」と怒るであろう。


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