これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/09/11 背中をみる

日記を書くゆとりがない。

診断速度は、4 月頃にくらべると、いくぶん、速くなったように思う。 これは主に、無意味なところで迷う時間が減ったためであろう。 速さを上げるために観察が甘くなることのないよう、気を引き締めねばならぬ。

以前に書いたように、年末頃までは私生活上のアレコレがあるために、時間の余裕が少なく、日記の更新頻度は落ちると思われる。 そのアレコレも経過良好であって、年末には落ち着く見込みなので、安心なされよ。いずれ、詳細を報告する。

さて、今年の初め頃に私は、教授陣の後姿を明確に視界に捉えた旨を書いた。 これは主に医学の観点から書いたものであって、臨床医療については、少しばかり事情が違う。 4 月から病理専攻医となり、病理診断に従事するようになると、先を行く人々の背中は、また、みえなくなったのである。

病理診断というのは、臨床像をふまえて組織標本を観察し、その疾患の本質を「みる」という行為である。 これは単なる絵合わせではなく、その生物学的本態を看破し、形容する、というものが病理診断の真髄である。

素人が組織標本をみても、何もみえない。何がどうなっているのか、理解できないのである。 医師国家試験などでは、疾患に特徴的な所見を疾患名とを対応させて、たとえば乾酪壊死を伴う肉芽腫といえば結核、というような知識を問う出題がなされることがあるようだが、 これは医学的ではなく、むろん病理診断学的でもない。

さて、4 月頃には、我が北陸医大 (仮) 病理診断学教室の諸先輩には「みえる」ものが、私には、みえなかった。 特に、食道早期扁平上皮癌だとか、膵癌や胆管癌は、私には、全くみえなかった。 どこからどこまでが癌なのか、先輩病理医の眼には明確に映っているのに、私の眼では、正常と異常の境界がわからないのである。 先輩病理医と一緒に顕微鏡をみても、やはり、みえなかった。 こういうのは、教えられればわかる、というものではない。 たとえば野球でボールにバットを当てる方法をプロ選手に教えてもらっても、自分でできるようにはならない、というのと同じようなものであろう。

教授の眼と私の眼では、性能に雲泥の差があった。 中堅の某病理専門医の眼や、病理医 4 年目の某専攻医の眼に較べても、私の眼などは、フシアナのようなものであった。 はたして、あと何年かのうちに、諸先輩と肩を並べ、そして追い抜くことができるだろうか、と、不安になったものである。

ところが、わからないなりに標本を見続けているうちに、私の眼は鍛えられたようである。 胆管癌や膵癌は経験が極めて乏しいので、まだみえないが、食道早期扁平上皮癌は、かなり「みえる」ようになってきた。 その他の臓器についても、だいぶ、我が眼の性能は向上したように思われる。

正式に病理医になって、まもなく半年である。 ようやく、諸先輩方の背中が、みえてきた。


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