AERA というのは、朝日新聞社が刊行している週刊誌である。 あまりマジメな雑誌ではないので、その内容にイチイチ批判を加える気はないが、たまたま目にした記事があまりにも酷かったので、指摘しておく。 一応、補足しておくが、私は普段、このようなくだらない雑誌は読んでいない。
西川史子が明かす 女子減点問題「当たり前」発言の真意とは?というものである。 例の東京医大の事件について、西川史子というタレントが、女子受験生を一律に減点した措置について 「医療現場では当たり前のこと」と発言したらしい。 この西川史子という者について私は知らないのだが、どうやら美容形成外科医でもあるらしく、面白がって AERA が取り挙げたのだろう。
西川史子は、聖マリアンナ医科大学の卒業生であるらしい。 聖マリアンナというのは、名前は割と知られているようにも思うが、入学するのは比較的簡単だが学費が高い、という意味で、典型的な私立医科大学である。 誤解をしている人もいるようだが、医学部医学科の学費が高いのは私立大学の話であって、国立大学であれば、他学部と変わらず、6 年間で 300 万円から 400 万円程度である。 従って、6 年間で 3,000 万円だか 4,000 万円だかの学費を払ってまで私立医科大学に入る人には「相応の事情」がある、と考えるのが自然である。
で、その西川史子のインタビュー記事であるが、述べている内容が、まるでトンチンカンである。以下、具体的に指摘する。
西川は「医者の友だちや上の先生からも『よく言った』と言われ」たらしいが、これは、西川の交友関係が偏った思考の持ち主なだけである。 あんなのは、医療現場において、何ら「当たり前のこと」ではない。 私の周囲は異口同音に、東京医大は頭がおかしいんじゃないか、というような反応であった。 たとえば我が北陸医大 (仮) には、女性医師の増加を懸念する声は皆無であり、むしろ女性医師の増加を好ましいこととする空気がある。 むろん、入試で女子受験生に対する差別的取り扱いなどなく、女子学生の割合も多い。学年によっては、過半数が女性、という例もある。 その結果、情報の真偽は確認していないが、北陸医大の女子学生比率は東京女子医大に続いて全国二位である、などという話も聞いたことがある。
また、西川は「体力面などで、どうしても女子にはできないことがあるので、ある程度選別するのは当たり前ではある」と述べたが、不適切である。 体力云々をいうなら、入試で体力テストを実施すべきであり、男女で区分すべきではない。 男性であっても私のように貧弱な身体能力の持ち主もいるし、逆に女性であっても日頃から鍛えている人なら、並の男性より体力がある。 それを一律に男女で分けるのは、単に不当な性差別である。 西川は、具体例として患者の脚を一時間も二時間も持ち上げる、という肉体労働の難しさを挙げているが、そんなのは人間が手でやるべきことではない。 適切な器具を使うべきであって、医師に体力を要求する理由にはならない。 仮に人の手でやらねばならない事情があったとしても、それを医師がやる必要はなく、看護師で良い。 「シミ」の例も挙げているが、これも単なる性差別なので、話にならぬ。
「国立はダメですけど、私学だったら男子を選ぶのは仕方がない」という発言も、国立は男女差別してはいけない、という思い込みでお茶の水女子大の存在を否定する暴言である。
西川は「学校としてはちゃんと卒業して国家試験に受かってもらいたいから、優秀な子を採りたいんだけど」とも述べているが、程度が低い。 聖マリアンナではそうなのかもしれないが、それを全国標準であるかのように考えられては困る。 京都大学をはじめとする、まっとうな教育をしている大学であれば、医師国家試験などを目標にしない。
「(医師の)花形は外科です」あたりは、もう、何を言っているのかわからないので、相手にしない。 また、訴訟が多いから外科は避けられる、というのも事実に反する。 医師の過失による訴訟や、それによる損害賠償責任については、普通は医師賠償責任保険に加入しているので、それほど重大な負担にはならない。 ただし美容形成の場合は、通常の医療行為の範疇ではなく、法医学的に違法な症例が存在すると推定されるので、事情が違うであろう。
そして最も重大な誤りは、保険点数についてである。 西川は白内障手術と胃癌手術について「どっちも同じ保険点数」と述べているが、実際には白内障手術 (水晶体再建術) は 12,100 点、 胃癌の手術 (胃切除術) は 55,870 点で、全然、違う。 それでも白内障手術の方が時間が短く、数を「こなす」ことができるから儲かるかもしれないが、少なくとも西川がいうほどの差ではない。
さらに西川は、保険点数を高くすれば医者が儲かるかのように書いているが、意味が分からない。 診療報酬というのは、患者や保険団体が病院に払う金額であって、それと医者の給料とは関係がない。 私立病院の中には、病院に利益をもたらす診療科の医師に高い報酬を払うところもあるだろうが、そういう利潤追求型の病院経営が健全であるとは思われない。
西川は「医療現場は、長い時間現場にいたら、それだけ学べるという考えなんですよ。医局で何げなくしゃべってることが参考になったりするんです。」と述べているが、 それは西川の周りがそうだった、というだけであって、医療現場の普遍的事実ではない。 まともな病院であれば、on と off を切り換えて、適切に勉強している。一般社会と何ら変わることはない。
最後に、西川の「私の学年で一緒だった子で大学病院にいる子はいないです。」という言葉に、全てが含まれている。 要するに、医師免許を取ってバリバリ金を稼ぎたい、だとか、開業医の親の跡を継ぐだとか、そういう理由で医者になった連中ばかりなのであろう。
聖マリアンナの人々が、この西川発言にどのように反応したのか興味はあるが、わざわざ調べようとまでは思わない。
北陸医大 (仮) 5 年生の某君から、神田隆『医学生・研修医のための神経内科学』(中外医学社) の改訂 3 版が出ていますよ、と教えられたので、購入した。 これは、神経内科学の全領域を単著で網羅的に解説した名著である。 タイトルに「医学生・研修医のための」とあることは、いささか品位を損ねているように思われるが、記載内容は低俗ではない。 ただし、今年 4 月に刊行された最新の改訂 3 版でも 649 ページしかなく、1 ページあたりの情報量も少ない。 そのため読みやすいのだが、本当にわからないことを調べる目的で使うには不足である。 本気の調べ物には、Love S et al., Greenfield's Neuropathology, 9th ed. (CRC; 2015). などを開くのが良いだろう。
もしかすると「そんな神経内科の教科書は、病理医には不要だろう」などと言う人もいるかもしれない。 しかし、それは誤りである。むしろ病理医だからこそ、そういう臨床の教科書を書棚に配しておくべきである。 我々は臨床の一翼を担っているとはいえ、患者に直接会う機会は乏しく、つい、臨床医学的なことを忘れがちである。 病理学のことなら、普段の業務を遂行する中で否応なしに勉強するが、臨床のことは、意図的にやらなければ勉強しない。 神経内科の高度に専門的な教科書を読むのは難しいかもしれぬが、せめて、上述のような平易な書物ぐらいは、書棚に置いておきたい。
我が北陸医大 (仮) のような地方大学の場合、初期臨床研修医は定員を満足できるかどうかギリギリのところである。 研修医の大半は北陸医大の卒業生であり、少数ながら存在する他大学出身者も、県内出身で他県の医学部を卒業した者であることが多い。 他県出身かつ他大学出身などという例は、私の他には、知らぬ。
研修医の数が極端に少なくなると、大学病院としての存在意義を問われるだけでなく、病院経営上も問題があるらしい。 だから病院長や副院長も、なんとかして、北陸医大の卒業生に自大学に残ってもらおうと工夫を凝らしている。
しかし、よく考えてみると、北陸医大に「残る」学生というのは、北陸医大が良い大学だと考えて積極的に選んだわけではないであろう。 地元だから、出身大学だから、なにかとやりやすい、というような理由で選んだに過ぎない。 隣県の某大学だとか名古屋大学だとかに比べて北陸医大の方が研修環境として優れている、と判断した者は少ないと思われる。
私は研修医時代、病院長や副院長に対し、北陸医大の卒業生に残ってもらうことよりも、他県から人を集めることを考えるべきではないか、と言ったことがある。 本当に魅力のある大学であれば、県外からも研修医が来るはずであり、そのような大学を創るべきである。 そういう魅力を醸成することなしに、ただ自大学出身者を残らせるだけの方策を考えても、その場しのぎに過ぎず、根本的には何も改善しない。 しかし、私の言葉は病院長や副院長には届かなかったようである。
北陸医大は、設備も予算も貧弱である。 たとえば、2016 年に手術支援ロボット da Vinci が導入された際、我が大学は大いに盛り上がった。 しかし名古屋大学は 2010 年、藤田保健衛生大学では 2008 年に da Vinci を導入しているのだから、今ごろ、それで盛り上がるのは時代遅れである。 世界の最先端とは、比較にもならぬ。 また、我が大学の予算的困窮の程度は、大学図書館の窮状にも反映されている。
そうした「恵まれない」環境の中で魅力的な大学を創るには、どうするか。 私であれば、教育の質で勝負する。 たとえば現在、我が大学では 12 月頃に、研修医症例発表会として、二年次研修医が自分の経験症例について発表する。 しかし、その内容は質が高いとはいえない。 私であれば、まずギフトオーサーシップを排除した上で、直接の指導医が発表資料作りに過剰に関与することを禁じる。 助言を与えるのは良いが、指導医が作ったスライドを研修医が流用するようなことは、あってはならない。 その上で、スライド作りや発表技術の向上のために、綿密な指導を実施する。 これに際しては、基礎医学や看護学などの教員にも協力を要請する必要がある。発表能力の低い臨床医だけでは、指導の質に期待できないからである。 そして、発表会も 2 年を通して 1 回などではなく、少なくとも 3 箇月に 1 回、できれば隔月ぐらいで行いたい。
そんなこと、できるものか。 特に、基礎や看護の教員に協力を求めるなど、できるものか。 おまえの言っていることは、非現実的な妄想に過ぎない。 と、批判する人もいるだろう。 しかし、それを何とかするのが、学部長や院長、および学長の仕事である。 その程度の学際協力も実現できないぐらいなら、資質がないから、辞任した方が大学と日本のためである。
話は変わるが、東京医科大学も、我が北陸医大と類似の状況なのだと思われる。 過去三年間の統計をみると、東京医大病院の研修医は 7 割から 8 割程度が自大学出身者である。 東京の大学病院では、他大学出身者の割合が比較的高いのが普通であるらしく、7-8 割というのは、かなり高い。 同じ私立大学であっても、慶應義塾や順天堂、慈恵医大などは、自大学出身者割合が 2-4 割程度と低い。 ついでにいえば、帝京大学は 80-90% が自大学出身者である。 また、分院は本院よりも自大学出身者が多いようで、たとえば東京医大八王子医療センターは、3 年連続で 100% が自大学出身者であった。
そういう環境が、例の事件の背景にあるのだろう。
先日書いた臍帯のいわゆる扁平上皮化生の記事において、 英国から Benirschke K et al., Pathology of the Human Placenta, 6th ed. (Springer; 2012). を取り寄せた旨を書いた。 先日、これが無事に私の手元に届いたので内容を確認してみると、いわゆる扁平上皮化生については、2000 年の第 4 版から記載内容が更新されていないようである。
この書物は、第 4 版では写真が全て白黒であった。 HE 染色の組織像も白黒印刷なのだから、たいへん、みにくい。昔は、教科書も論文も、それが普通であったらしい。 第 6 版では、一部にカラー写真が追加されたため、少しはみやすくなった。 それでも、大部分は古い白黒写真であり、大幅な差し替えは行われていないようである。 従って、アトラスのように使うには、この教科書は不適である。あくまで学術的考察のための資料とみるべきであろう。 なお、この教科書は、私が購入した際には 25,000 円程度であった。医学の成書としては安い部類であり、私のような若輩の医師であっても躊躇なく購入できる程度である。
さて、私の知る限り、胎盤についてキチンと学術的に論じている日本語の成書は存在しない。 基本的な形態的特徴などは組織学の教科書などに記載されているが、そこでは「何か不可思議なもの」とでもいわんばかりに、ただ観察事実だけが述べられている。 たとえば、なぜ栄養膜細胞 (trophoblast) は cytotrophoblast と syncytiotrophoblast の二層から成っているのか、とか、 syncytial knot とは何なのか、とかいう点について、大抵の病理医は考えたこともないであろう。 そういう基本的な疑問について、可能な限りの解説を試みているのが、上述の Benirschke の教科書である。
たとえば、胎盤病理学で時に混乱を招く用語の一つに syncytial sprout と syncytial knot がある。 歴史的には両者が同一視されていた時期もあるが、現代では、これらは全く別個の構造と考えられている。
Benirschke によると、syncytial sprout は、trophoblast の盛んな増殖の結果として生じる構造物である。 Trophoblast が増殖し、絨毛表面から、細い索状にニョキニョキと絨毛間腔へと伸びていくのである。 むろん、絨毛間腔は母体血液で満たされている。Syncytial sprout は、やがて破断し母体血流に乗る。 Trophoblast は胎児由来の細胞であるから、母体血に胎児細胞が混ざることになる。 これが、母親の末梢血を調べることで胎児の染色体異常を調べることができる、という例の検査の背景である。
一方、syncytial knot は、trophoblast が集まったものであり、基本的には厚い板状の構造を成し、syncytial sprout のような索状構造は形成しない。 個々の細胞核は濃縮し、密に凝集している。 なぜ、このような構造物が形成されるのかは難しい議論があるので、別の機会に紹介しよう。 一応、慢性虚血などに対する反応性変化として syncytial knot が増加することがある、と考えられている。
病理診断の観点からは、syncytial knot と、いわゆる false knot とを区別することが重要である。 すなわち、組織標本において、trophoblast の層が接面方向に切断されている部分は、単なる trophoblast の層が、あたかも syncytial knot のようにみえることがある。 しかし、よく観察すると、核は濃縮しておらず、核小体もみえるので、鑑別することは可能である、と教科書には記載されている。 が、むろん、これは容易なことではなく、同じ標本、同じ画像をみても、病理医によって判断が分かれることは稀ではないと思われる。
だいぶ間隔があいてしまった。 今月の 20 日から 26 日まで、遅い夏期休暇を取得し、東北や函館に遊びに行ってきた。 これまでの慣習に沿うならば、その内容を日記に記載するところなのであるが、今回はイロイロとヒミツの旅行であったので、仔細を報告することができない。 まぁ、概略だけは、いずれ書くかもしれない。
さて、その旅行中に、近藤誠氏に関する噂を耳にした。 近藤誠医師については、過去に何度か書いたが、 いわゆる「がん放置療法」などを唱え、医師などから猛烈な批判を受け続けている人物である。 その近藤氏が、どうやら過日、テレビ出演したらしく、その内容が医学的にデタラメだ、という批判を受けているらしい。
私は、そのテレビの内容の詳細を知らないのだが、要するに the New England Journal of Medicine という娯楽雑誌だか何だかに掲載された医学研究データを、 自分の主張に沿うように都合よく歪曲して解釈し、説明したらしい。 それに対し怒った医師などが批判を加えているようである。 ただし、これは私が伝聞に基づいて推定した内容であるので、事実とは少し異なるかもしれない。
私も過去に何度か書いたが、近藤氏の主張は、医学的にはデタラメであり、到底、受け入れることはできない。 しかし、彼を批判する側も、なぜ彼がそのような主張をし、なぜ少なからぬ患者がそれを信じるのか、という部分を理解せず、 単に医学的な正誤のみを論じて近藤氏を叩くのでは、問題は解決しない。
近藤氏の行動の原動力は、現在の医学界に蔓延する患者軽視の風潮に対する怒りであろう、ということは 2013 年と 2015 年に書いた。
現在においても、インフォームドコンセントを欠いた違法な診療行為は、極めて広く蔓延している。 たとえば、癌について「手術しなければならない」と医師が説明したとすれば、それは違法である。 手術するかどうかの判断・決定は、患者の価値観・人生観などに基づいてなされるべきであり、原則として患者自身に委ねられるものだからである。 医師が「手術により癌を完全に取り去れば、余命の大幅な延長を期待できる」というような客観的事実を説明するのは適切、というより当然であるが、 「手術が必要である」あるいは「手術するべきである」という価値判断を医師が行ってはならない。 ところが現実には、手術をするべきかどうかを医師が判断して患者に説明する、というような、患者の自己決定権をないがしろにする「医療」が蔓延している。 患者の側も、それに疑問を抱いていない場合が少なくないようである。 しかし、こうした医師の判断に同意するだけの「承諾」はインフォームドコンセントではなく、 従って法医学的には患者の承諾を得たことにはならず、その医療行為の違法性を阻却することができない。
そうした患者軽視の歪んだ医学界に対し挑戦しているのが、近藤氏なのである。 しかし遺憾なことに近藤氏は、医学者としては抜群に優秀というわけではないらしく、明確な学術的根拠を示して戦うことができていない。 本来であれば、そのような基本的学識に乏しい者は最前線の学術論争に加わる資格がない。 ところが現在の日本では、既存の医療に対し問題意識を有する医師・医学者が極端に少ないため、まともに戦うことのできる者がおらず、 近藤氏のような力不足の医学者でも前線に立たなければならない、というのが現状である。 力がないのに前に立たねばならない近藤氏の苦しみを、諸君は、理解しているのか。
臨床医の仕事は、患者が何を求めているのかを理解するところから始まる。 これは、患者が言葉にはできていない本当の求めを理解する、という意味である。 そういう仕事を日々、行っているような医者であれば、どうして、近藤氏に対して表面的な「医学的事実」に基づく批判を行うだろうか。
学生や研修医など若手医師に、学会での発表経験を積ませようとする指導者が、少なくとも北陸医大 (仮) には多い。 学生や研修医の側にも、そういう発表経験を重ねることを重視する者が少なくない。 この風潮は、非常に危険である。 質の低い経験を積むことは、有害だからである。
発表内容について、充分な考察は重ねたのか。発表技術についての指導は行われているのか。発表の練習は充分であるか。 「キチンとやっている」と主張する者もいるが、諸君のいう「キチンと」は、水準が低い。
そもそも発表の目的が曖昧で、医学的考察が甘く、発表すること自体が目的になっているような例が多い。 その結果、発表を聞いても、何を言いたいのか、わからないのである。むろん、つまらない。 手元の原稿に目を落としながら発表する者もいる。 ひどいのになると、ポスター発表なのに当日の午後になってようやくノロノロと掲示する例まである。
細かな技術についていえば、たとえば症例報告をする際に、既往歴や薬剤歴についてスライドに列挙した上で口頭では「以下の通りです」と述べるに留める者がいる。 何も考えていない証拠である。「以下の通り」では、何もわからないではないか。 今回の発表に関係するようなものがないなら、その旨を明言するべきであって、それを省くのは怠慢である。 また、検査所見の単位の扱いや、「ワイセ」などの不適切な表現や「あがる」などの誤った日本語については、過去に何度も指摘した。 正しい言葉を使わず、定義が曖昧で漠然とした表現を用いて、だいたい伝わるでしょ、などという不誠実な態度で発表しているのである。
水準の低い発表が臨床医学の分野でまかり通っている最大の原因は、指導者側の力量不足であろう。 発表技術を教育する能力が乏しいのである。そもそも、その指導者側が発表下手なのだから、無理もない。
学生や研修医が発表する時、あなた方は、その指導に、どれだけの時間を割いているのか。 「忙しいから」と、その時間を省こうとしていないか。 さらにいえば、北陸医大 (仮) の場合、指導者が発表スライドやポスターを作り、それに沿って学生や研修医に発表させる例があるのを私は何度もみたことがある。話にならない。 それで、あなた方は指導者といえるのか。教育者といえるのか。 診療や研究を優先するあまりに教育を疎かにするぐらいなら、大学教員たる資格がないので、速やかに退職すべきである。
基礎医学や医学以外の分野であれば、たぶん、どこも同じような状況だと思うのだが、私の大学院時代の発表次第は以下のような要領であった。 まず、発表する学生 (大学院生) がスライドを作る。 あたりまえだが、これは完全に学生が自力で作る。 そのスライドに基づいて、まずは研究室全員が集まった場で発表し、それについて全員で質問や批判・指導を行う。 ここでは、発表内容の論理構造は大丈夫なのか、言葉の遣い方は適切か、など、助詞の一つに至るまで緻密な指摘が行われる。 「何を言いたいのか、全くわからん」というような辛辣な発言が出ることも多い。 だいたい分かってくれるでしょう、というような甘い態度は、むろん、許されない。 発表時間が 10 分程度であれば、こうした議論に 1 時間ぐらいはかかる。 内容が稚拙である場合には、2 時間ほどかかることもある。 それらの議論をふまえて、学生はスライドを作りなおし、また全員の前で発表する。今度は、議論も短くて済む。
過日、ある会合で、学生や研修医を対象に発表する機会があった。 その発表スライドを、事前に知り合いの看護師にみてもらったところ、「何を伝えたいのかわからない」というコメントをいただいた。 この看護師は修士課程経験者であって、学術研究の基礎は習得している人物である。 私が「こんなもので、よかろう」と甘い気持ちでスライドを作ったことを見抜き、的確に指摘したわけである。
勘違いしている者も少なくないようなので明記しておくが、諸君の発表技術は、看護師以下である。 さらにいえば、医師が看護師より劣ることは周知の事実である。 たぶん、上述の看護師氏であれば、「何を当たりまえのことを言っているのですか?」と怒るであろう。
さて、胎盤病理学について世界最高峰の名著といえば、Benirschke の Pathology of the Human Placenta であろう。 現在の最新版は第 6 版で、2012 年に出版されたものであるが、あいにく、我が北陸医大 (仮) には、2000 年に出版された第 4 版しか所蔵されていない。 そろそろ次版が出そうな頃合なので私は買い控えていたのだが、なかなか第 7 版の刊行予定が公表されない。 私は胎盤病理学を志している以上、Benirschke の教科書をいつまでも買わずにいるのは恥ずかしいので、とうとう先日、第 6 版を注文した。 現在、英国から我が家にむけて輸送中である。
さて、Benirschke の第 4 版では、臍帯の化生については明記されていないものの、胎盤の羊膜上皮について次のように記載されている。
... We refer to them as ``squamous metaplasia,'' a misnomer... The amnion is squamous, and these areas of metaplasia do not form in response to some chronic irritation or inflammation... They merely betray maturity and are not found in immature placentas. This so-called squamous metaplasia of the amnion is actually only the focal keratinization of the epithelium. ... In this context, one must recall the developmental and structual continuity ... of amnionic epithelium and the squamous fetal skin.
これは「扁平上皮化生」と呼ばれるが、適切な名称ではない。(中略) 羊膜は、もともと扁平上皮であるし、この種の化生は慢性的な刺激や炎症に対する反応として生じるものでもない。(中略) これは、単に、正常な成熟の過程から外れた結果として生じるだけのものであり、未熟な胎盤ではみられない。 この、羊膜のいわゆる扁平上皮化生は、実際には上皮の角化に過ぎない。 (中略) この変化について考えるにあたっては、羊膜上皮と胎児皮膚が構造的および発生学的に連続していることを思い出すべきである。
すなわち Benirschke は、臍帯上皮の重層化や角化は、外部からの刺激に対する反応ではなく、分化経路から軽度に逸脱しただけである、という立場らしい。 胎児や胎盤の病的変化を反映するものではなく、機能的に問題のない形態変化の範疇なのだから、生理的範疇と考えて良い、という態度である。
そうなのかもしれぬ。 しかし私は、エラい先生のおっしゃることを素直に信じるほど純真ではない。 Benirschke は、一体、何を根拠に「外部からの刺激に対する反応ではない」と考えたのだろうか。 確かに、我々がみる組織標本においては、こうした重層化は通常、炎症や繊維化を伴っていない。 その意味において、気管支や肺の扁平上皮化生とは意味が異なるであろう。 しかし、正常の分化経路から逸脱するからには、何らかの事情があるはずなのである。 その「事情」を理解していないのに安易に「病的意義はない」とか「生理的変化である」とか記載するのは軽率である。 Mills や Benirschke の姿勢は、病理学的ではない。
私なら「病的意義は不明である」と書く。
ひさしぶりに、まじめな医学の話をしよう。 時に臍帯にみられる変化についてである。
臍帯には、通常、2 本の動脈と 1 本の静脈が通っており、その周囲は Wharton's jelly と呼ばれる結合組織で埋められている。 細かいことをいえば、尿膜管や卵黄腸管の遺残物がみられることもある。 こうした臍帯の表面は、単層の立方ないし扁平上皮で被覆されている。 このあたりまでは、組織学を修めた学生なら誰でも知っている。
臍帯の病理組織標本をみると、表面の上皮が重層化しているものが稀ではない。 私は、これを初めてみた時、何か重大な病変なのではないかと思った。 しかし組織学の名著である Mills SE ed., Histology for Pathologists, 4th ed. (2012; Wolters Kluwer). をみると
True squamous metaplasia of the umbilical cord is considered a normal variant.
と記載されており、これは何ら病的なものではない、とされている。 なお、この Mills の組織学の教科書は、Ackerman の外科病理学の教科書と並び、病理医なら誰でも持っているような名著である。 現在の最新版は第 4 版であるが、来年 2 月には第 5 版が出るようなので、買い忘れないよう注意されたい。
さて、過日、上皮の重層化だけでなく、明瞭な角化を伴う臍帯をみた。 重層化は生理的な変化の範疇だとしても、角化を呈するのは、何か病気ではないのか。 そう思い、あらためて調べてみたのだが、Mills は、その点について明確な記載をしていない。
これについて、キチンとした医学書ではないが「病理と臨床」というオタク向け雑誌の臨時増刊号 (Vol. 35; 「病理診断に直結した組織学」) には次のように記載されている。
(臍帯の) 最外層は主として, 単層立方の羊膜上皮と同様の上皮に被覆される. 後で述べる羊膜と同様に扁平上皮化生を伴うこともあるが, 病的意義はない.
(羊膜では) 顆粒層と角化を伴う扁平上皮化生がみられることがある.
しかし、Mills にせよ「病理と臨床」にせよ、何を根拠に「病的意義はない」と述べているのか。 通常はみられない変化が上皮にみられるならば、治療介入を要するかどうかはともかく、それは何らかの病変と解釈するべきではないのか。 頻度が高いとか、胎児の予後には影響しないとかいう観察事実は、それが病的であるかどうかという病理学的判断とは、関係ないのである。
少し長くなりそうなので、続きは次回にしよう。
日記を書くゆとりがない。
診断速度は、4 月頃にくらべると、いくぶん、速くなったように思う。 これは主に、無意味なところで迷う時間が減ったためであろう。 速さを上げるために観察が甘くなることのないよう、気を引き締めねばならぬ。
以前に書いたように、年末頃までは私生活上のアレコレがあるために、時間の余裕が少なく、日記の更新頻度は落ちると思われる。 そのアレコレも経過良好であって、年末には落ち着く見込みなので、安心なされよ。いずれ、詳細を報告する。
さて、今年の初め頃に私は、教授陣の後姿を明確に視界に捉えた旨を書いた。 これは主に医学の観点から書いたものであって、臨床医療については、少しばかり事情が違う。 4 月から病理専攻医となり、病理診断に従事するようになると、先を行く人々の背中は、また、みえなくなったのである。
病理診断というのは、臨床像をふまえて組織標本を観察し、その疾患の本質を「みる」という行為である。 これは単なる絵合わせではなく、その生物学的本態を看破し、形容する、というものが病理診断の真髄である。
素人が組織標本をみても、何もみえない。何がどうなっているのか、理解できないのである。 医師国家試験などでは、疾患に特徴的な所見を疾患名とを対応させて、たとえば乾酪壊死を伴う肉芽腫といえば結核、というような知識を問う出題がなされることがあるようだが、 これは医学的ではなく、むろん病理診断学的でもない。
さて、4 月頃には、我が北陸医大 (仮) 病理診断学教室の諸先輩には「みえる」ものが、私には、みえなかった。 特に、食道早期扁平上皮癌だとか、膵癌や胆管癌は、私には、全くみえなかった。 どこからどこまでが癌なのか、先輩病理医の眼には明確に映っているのに、私の眼では、正常と異常の境界がわからないのである。 先輩病理医と一緒に顕微鏡をみても、やはり、みえなかった。 こういうのは、教えられればわかる、というものではない。 たとえば野球でボールにバットを当てる方法をプロ選手に教えてもらっても、自分でできるようにはならない、というのと同じようなものであろう。
教授の眼と私の眼では、性能に雲泥の差があった。 中堅の某病理専門医の眼や、病理医 4 年目の某専攻医の眼に較べても、私の眼などは、フシアナのようなものであった。 はたして、あと何年かのうちに、諸先輩と肩を並べ、そして追い抜くことができるだろうか、と、不安になったものである。
ところが、わからないなりに標本を見続けているうちに、私の眼は鍛えられたようである。 胆管癌や膵癌は経験が極めて乏しいので、まだみえないが、食道早期扁平上皮癌は、かなり「みえる」ようになってきた。 その他の臓器についても、だいぶ、我が眼の性能は向上したように思われる。
正式に病理医になって、まもなく半年である。 ようやく、諸先輩方の背中が、みえてきた。
近年、大学などにおける授業の形式として「参加型」が良い、とされているらしい。 つまり、従来のような、講師が一方的に話すだけの講義ではなく、学生が実際に手を動かすなどして、主体的に参加する形式の方が学習効果が高い、というのである。
この「参加型」信仰が、どこから生じたのかは知らぬ。 なぜ彼らは、講義が「講師が一方的に話すだけ」のものであると思い込んでいるのか。 講義というものは、本来、講師が学生に対し語りかけ、学生はそれに反応し、各自の頭脳で思考を巡らせるものである。 そして適宜、意見を表明し、あるいは質問する、というのが、私が京都大学時代に経験した普通の講義であった。
こうしたキチンとした講義であれば、学生は、仮に発言を一切しなかったとしても、自分でよく考えながら講義に参加しているのだから、学習効果が低いとは思われない。 むしろ、自分で手を動かす実習であっても、頭をカラッポにして決められた操作を遂行するだけであれば、講義より高い学習効果を得られることはない。 もっとも、とにかく手を動かせば、学生は「自分が何かをやった」という実感を得やすいので、満足度は高いかもしれぬ。 実習としての評判も、良くなるかもしれぬ。 が、教育としての良し悪しは、それとは別の話である。
そもそも、講義の際に学生が受け身になり、参加せず、ただ漫然と話を聞き流すだけになってしまうのは、講師側の問題である。 相手の学識や興味を無視し、対話をせず、自分が話したいことを話すだけの、ひとりよがりな「講義」をするから、学生が退屈するのである。 私が名大医学科で経験した例でいえば、救急医学の教授が 8 回ほどにわたり行った一連の名講義では、 普段は授業をサボりがちな学生までがこぞって出席するものだから、教室が満席であった。 むろん、これは出席確認や小テストなどのために渋々参加したのではなく、教授の話を聴きたいがために、学生が自主的に出席したのである。 そして、最終回の講義終了時には、自然に拍手が湧き起こった。このような講義は、京大時代と名大時代を通して、その一回だけしか、私は経験したことがない。
このように、学生が自らの判断で出席し、聴講するような講義であれば、たとえ形式的には講師が一人で話しているだけの講義であっても、 実際には学生も積極的に講義に参加しているのであって、高い学習効果があるといえよう。
ところで、多少なりとも医学に興味を持ち、医者になろうとしている者であれば、医学の根源である病理学について関心を持たないはずがない。 実際、学生と話をしてみると、病理診断学はともかく、基礎病理学については、ほとんど皆が興味を持ち、勉強せねばならぬと思っているらしい。 ところが少なからぬ大学では、病理学の講義や実習は学生の評判が悪いようである。
一体、誰の責任であるか。
遺憾ながら私は、まだ、学生教育に深く関わることのできる立場にない。 その場に立つためには、あと何年かが必要であろう。
過日、北陸医大 (仮) の全病院職員を対象とした、医療安全講習会が行われた。 これは、定期的に行われているものであり、今回は患者取り違えをテーマとして、学外から講師を招聘して行われた。 その内容については概ね同意できるものであったが、一点だけ、容認しかねる問題発言があった。
どういう話の流れであったかは覚えていないが、その講師氏は、 「医療従事者だけでなく、事務職なども含めて全員が」などと発言したのである。 つまり、病院の事務職員は医療従事者ではない、という認識を、その講師は持っていることになる。 いうまでもなく、病院の事務職員は、高度な専門技能を有する医療従事者であるが、そのことを講師氏は理解していないのであろう。
似たような失言は、名古屋大学時代に、某教授の口からも聞いたことがある。 救急医療の話をした際に、「救急隊から医療従事者に (患者を) 引き継いで」などと発言したのである。 ここでは、教授は「病院スタッフ」という意味で「医療従事者」という語を使ったのであるが、 むろん、救急隊員は医療従事者なので、不適切な表現である。 この教授は、高い学識を有し、人格も優れた人物であるだけに、この失言は遺憾であった。
これらは、口がすべった、で済まされるものではなく、単なる揚げ足とりでもない。 その人の「医療従事者」という語に対する認識が、無意識に反映されているのである。 これは、北陸医大の「病院長あいさつ」の件にも通じるものがある。 なお、この問題のある「病院長あいさつ」は、現在も修正されていない。
完全にプライベートな話であるが、連絡先がわからないので、ここに書いておく。
例の愛知県の某病院の某助産師は、名古屋大学の某病理医の名を、覚えていた。
日本病理学会中部支部の「夏の学校」が、昨日と一昨日の二日間にわたり、富山県で開催された。 これは毎年の恒例行事であるが、私が参加したのは四回目であり、初回は 2013 年の静岡県、 2 回目は 2014 年の石川県、3 回目は昨年の愛知県であった。
名大時代に、主に病理哲学的な面でお世話になった (2013 年, 2014 年) 某教授からは、いつものように面白い話を聴くことができた。
名大時代の同級生は、私の他に 3 人が参加していた。 以前にも書いたが、私の学年は名古屋病理学の黄金世代 (と、いずれ称される予定) であって、少なくとも名大に残った 5 人と私の 6 人が病理医になった。 他に、未確認であるが関東地方に移った一人は少なくとも研修医時代には病理志望であったし、さらに別の一人も病理医になった可能性がある。 むろん、いずれも優秀な面々である。 中でも、今回の「夏の学校」に参加した一人である M 君は、人格、態度、学識のいずれも優れた医師であり、後に名大病理学教授として、 日本と世界の病理学界を牽引していく人物である。私も学生時代、彼の存在に大いに助けられた。 私が搦手からの奇襲を得意とするのに対し、M 君は、いわば正統派である。 これは、どちらが優れているということではなく、科学の発展と人類の繁栄のためには、いずれもが必要なのである。 M 君には突破できない難所でも私なら易々と越えられることがあるだろうし、逆に、私には世の人々を動かし社会を変えることができなくても、M 君には比較的容易であろう。
私は全く知らなかったのだが、「病理医ヤンデル」という、twitter 界隈で有名な病理医がいるらしい。 そのヤンデル氏が、今回、夏の学校に講師として招聘されていた。 初日の夕食後、そのヤンデル医師と深夜まで延々と語り合ったが、たいへん、実りのある対話であった。 詳細は書かぬが、これからの病理学界をどのように創っていくのか、病理学の真髄はどこにあるのか、というような話である。 あぁ、このように、深く考え行動している人は、やはり、いるのだ、と、いたく感嘆した。
今回は、京都大学からも一名の学生が参加した。 彼によると、京都大学では、教科書や指導者の言うことを無思慮に鵜呑みにしてはいけない、自分で調べ考えよ、という教育が行われているらしい。 これは、当然のことではあるものの、現在の日本の医学科教育では全く行われていない種類の教育であり、さすが京都大学である。
ところで、上述の M 君からは、たいへん鋭いご批判をいただいた。 私は夏の学校の中で行われた議論において、ある心電図について、私は、洞頻脈なのかリエントリー性頻拍なのかはよくわからない、と述べた。 それについて M 君は帰り際に、わからない、で済ませるとは、君らしくない、と述べたのである。
私は、深く恥じ入り、反省した。 どうしてもわからないものは、正直に「わからない」と言わなければならない。それが、科学者として、医師としての誠実さである。 しかし、「わからない」と結論するのは、本当に思慮を尽くし、その心電図に穴があくほど凝視し悩み抜いた後でなければならない。 私は、そこまでは深く検討していないのに、他の医師が述べた所見を安易に受け売りして「わからない」と言ってしまったのである。
大学院時代の私は、ある学生が安易に「仕方ない」と発言したのに対し「『仕方ない』と言って良いのは、それが仕方ないことを証明した後だけである」と言って批判した。 これと同じ批判を、M 君は、私に対し行ったのである。
怠慢であった。
もとより、北陸医大 (仮) で一生を終えるつもりはなかった。 数年間、長くとも 10 年間の予定であり、その間に、私に為せるだけのことを為し、遺して去るつもりであった。 その後は、どうするのか、むろん具体的なことはわからないが、ある程度の目論見は、ある。
現在の京都大学に、私のような一度おちこぼれた者を受け入れるだけの度量があるとは思われない。私も、戻るつもりはない。 名古屋大学も、京都大学よりマシであるとは思われない。 実は、一時期、北海道大学に魅力を感じていたことがある。 解剖学の伊藤隆や、皮膚科学の清水宏、外科の某講師といった優れた人材を受け入れ、活用している同大学なら、と思ったのである。 が、過日の同大学博物館の一件で、私は、いたく失望した。
私をうまく使える場所、私が羽を広げられる場所は、やはり中小規模の地方大学であろう。
学生や研修医諸君の中には、「標準的な道」から外れることに不安を感じる者も多いであろう。 無難に出身大学に残り、無難な立場を確保し、無理のない範囲で「上」を目指すスタイルである。 私も北陸に移る際、やめた方が良いのではないか、という助言を、名古屋大学の某教授からいただいた。 私を心配してくださったのである。
しかし、よく考えると、そういうエラい先生方は、これまでの古い時代、旧世紀を生きてきた経験から物を言っているだけである。 センセイ方が、今後のことを、我々よりもよく見通しているとは思われない。 なにより、あたりまえのことであるが、その選択が本当に「無難」であるという保証はなく、その選択が引き起こす結果について、彼らが責任をとってくれるわけでもない。
名古屋大学の病理には、私の元同級生のうち 5 人ほどが残ったらしい。彼らは皆、学生時代から優秀であった者ばかりである。大豊作である。 彼らが私のことを、どうみているかは、知らぬ。 北陸に「都落ち」した私を、道を踏み外した阿呆、ぐらいに思っているかもしれぬ。 あるいは逆に、底知れぬ不気味さを感じているかもしれぬ。
ふりかえってみれば、私は麻布高校、京都大学、名古屋大学、と、まぁ、世間の評価からすれば「名門」とされるような所を歩いてきた。 その 30 年間で得た最大の収穫は「いわゆる名門というのは、実は大したことがない」という実感である。 「名門」には、とても優秀な人が比較的高い頻度でいる、というだけのことであって、「名門」にいる人の大半は凡庸である。 「名門」に入ったからといって優秀になれるわけでもなく、逆に、地方の弱小組織にも驚くほど優秀な人がいる。 さらにいえば、その「優秀な人」というのも意外と大したことがなく、 物理学の歴史に名の残るヴォルフガング・パウリやニールス・ボーアでさえ、雲の上というほどの高みにいるわけではない。 これらを言葉の上だけでなく、実感として心の底から理解できたことは、京都大学で得た最大の宝物である。
まぁ、北陸医大を離れた後の行き先候補としては、いくつかの大学を念頭に置いているが、具体的にはまだ書かない方が良いだろう。
腎生検を苦手とする病理医は多いと聞く。 腎生検は主として非腫瘍性病変の診断であり、形態的多様性に富んでいることに加え、 蛍光顕微鏡や電子顕微鏡の所見と併せた診断が基本であるから、通常の光学顕微鏡だけでは診断不能なために、多くの病理医が苦手としているのだろう。
腎生検の入門書としては、Medical view 社の『腎生検診断 Navi 改訂第 2 版』が読みやすい。 この Medical view 社というのは、「わかりやすい」書物を得意とする出版社であって、学術的に高尚ではなく、平たくいえば低俗な出版物が多い。 上述の書も、読みやすいが学術的ではなく、読んで楽しいものではない。 が、やむなく、このような書物に頼っているのが私の現状である。 本当であれば Jennette JC et al., Heptinstall's Pathology of the Kidney, 7th ed. (Wolters Kluwer; 2015). などのキチンとした 書物で勉強するのが筋なのだが、そこまで手がまわっていないのである。 とはいえ、私は、この現状を肯定する気はなく、自身が低俗な書物に頼っていることを恥じる心を忘れぬために、その事実をここに記載し、 その一方で『腎生検診断 Navi』に対する批判を述べようと思う。
この日記は、一応は匿名である。自分の素性を隠しながら具体的な書名を挙げて攻撃することは卑怯である、とする意見もあるだろう。 しかし、書物を著し、それを世に公表する以上は、それに対する批判を受けることは覚悟するべきである。 「批判するなら名を名乗れ」というのは、反対意見を封殺しようとする圧政者の常套手段に過ぎず、何らの正当性も合理性もない。 正しいことは誰が言おうと正しく、間違っていることは誰が言おうと間違っている。 単なる罵詈雑言を匿名で発するのは卑怯であるが、事実を摘示した上での批判であれば、「誰が言っているのか」は問題ではない。 むろん、批判に対して怒ることは自由である。それが言論というものである。
『腎生検診断 Navi』の中で、最も腹立たしい文章は「はじめに」である。 一部を抜粋すると、そこには、次のように記載されている。
医学の進歩に伴い、情報量が急速に増えている現在、覚えなければいけないことが多すぎて今の若い人たちは気の毒なくらいです。
この本には必要最低限の情報しか入っていませんのでここに掲載している病変はすべて頭に叩き込んでください。
まず第一に、「覚えなければいけないこと」というものが、本当のところ、どれだけあるのかは疑問である。 それは過去にも何度か書いたし、これからも書くであろうが、知識などというものは、書物やコンピューターの中に保存されているのであって、 必要に応じてそれを検索すれば済むことである。 私は 15 年ほど前の京都大学で、大事なのは知識ではない、知恵である、と教わった。その教えは、医師となった現在でも大いに活きている。
それはさておき、仮に「覚えなければいけないこと」が多かったとしても、それで「気の毒」とは、どういうことか。 医師というものは、医学を修め、それを実践することに人生の喜びと目的をみいだした人種ではないのか。 それを「気の毒」とは、医学と医療、そして医師の誇りを侮辱するものに他ならない。 「筆が滑った」で済むものではない。
第二に「頭に叩き込んでください」とは、どういうことか。 この『腎生検診断 Navi』には、形態学的特徴は記載されているものの、病理学的考察や議論は一切、掲載されていない。 単なるパターン認識に基づく分類法簡易マニュアルに過ぎない。 それを「頭に叩き込む」という作業が、はたして、本当に医学なのか。それが病理学なのか。病理診断学なのか。
もし私が著者であったならば、このような書物の「はじめに」には、次のように書くであろう。
この書物には、診断にあたって「便利」な知識だけをまとめてありますが、これらは、あくまで表面的な内容に過ぎず、病理学的本質からは、残念ながら、かけ離れています。 ですから、このような「便利」な知識に頼って医学的判断をすることは、本当は、好ましくありません。 `Heptinstall' のような、キチンとした成書を読むべきです。 しかし、そのような時間を確保できない人々が、やむなく代用手段として、緊急避難的に使うことを目的に、この本を書きました。 この本の内容を盲目的に信じてはいけません。 疑問を持つこと、キチンとした文献で調べること、考えること、そして新しい道を拓くことこそが、医学であり、医師の務めなのです。
本当は著者氏も、私と同じようなことを考えているのではないか。 ただ、それでは昨今の若い学生や医師に煙たがられるから、本音を隠して迎合しているのではないか。
経験を積めば積むほど、人は良い方向に成長するかといえば、むろん、そうとは限らない。 学生時代には理解していたことを、医師になってから忘れてしまうこともある。
日本では、概ね臓器別に「癌取扱い規約」というものがある。 これは、悪性腫瘍の分類法や、その所見の記載法についてまとめたものであって、手術検体の切り出し方法、つまり、どこを標本化すべきか、というようなことも書かれている。 ただし、これは「規約」という名称ではあるものの、拘束力のある規則ではない。 「こうするとわかりやすいのではないか」と、用語や手法について指針を示しただけのものであって、最終的には個々の医師の裁量に委ねられており、これは 臨床的なガイドラインと同様である。
臨床にせよ病理にせよ「これは、こうする」というような規則があって、それに従えば良い、というものではない。 というより、そのような規則があるなら医師は不要である。 画一的な規則はなく、個々の症例に応じて臨機応変に対応せねばならないから、我々医師は医学を修める必要があり、また、医師には高い給与が保証されるのである。 とはいえ、現状では医学をろくに修めていない医師でさえ高い給与を受けているのだから、何かおかしいのだが、その話はまた別の機会にしよう。
いうまでもなく、上述のようなことを、私は学生時代から充分、認識していた。 ところが研修医として二年間を過ごし、病理医としての一年目を始めた最近になって、それを少し忘れかけてしまったようである。恥ずかしいことである。 過日、非常勤医として務めている某市中病院の常勤病理医から指導を受けた際に、自分が「規約の何たるか」を忘れかけていたことを認識した。
少し専門的な話になる。 たとえば「大腸癌取扱い規約 第 9 版」では、大腸壁内の癌巣について、次のように記載されている。
原発巣を含む病理標本上で, 筋層外脂肪織内に存在する癌巣に関しては, (中略) 原発巣から 5 mm 以上離れている癌巣を EX (註: リンパ節構造のない壁外非連続性癌進展病巣) として取り扱う。
要するに、原発巣から 5 mm 以上離れていればリンパ節転移として扱い、5 mm 未満であれば原発巣の直接進展として扱う、ということである。 たとえば他に明らかなリンパ節転移がない場合、その壁内病変が原発巣から 4.9 mm であればリンパ節転移陰性ということになるが、5.0 mm であればリンパ節転移陽性である。 リンパ節転移の有無は、術後療法の選択などについて重大な影響を与えるが、この 0.1 mm で、それが分かれるのである。
素人、あるいは臨床に染まっていない学生であれば、これはおかしい、と気づくであろう。 その 0.1 mm の差が、それほど重大な差を生じるということは、常識的に、あるいは病理学的に考えて、理解不能である。 だいたい、その「距離」は、標本作成の際に最短距離を切片に乗せるか、少し斜めの断面を切片に乗せるかで、容易に変化するではないか。
その通りなのである。 規約には何も書かれていないが、仮に距離が 4.5 mm であっても、形態的にリンパ節転移だと強く信じる根拠があるならば、それはリンパ節転移として扱うべきである。 逆に 5.5 mm であっても、直接進展が強く疑われるなら、安易にリンパ節転移とみなすべきではない。
規約にそう書いてあるから、とか、WHO 分類でそうなっているから、とかいう言葉を言い訳に使う者は、藪医者との謗りを免れることができない。
東京医科大学は、女子受験生に対し不当に差別的な取り扱いをしていた、という件で有名になった。 この件について、朝日新聞は
性による差別は、学生の学ぶ権利を奪うだけでなく、誰もが能力を発揮して働ける社会づくりに逆行しかねない。
と書いたが、この書き方は、まずい。 大学入学に際しての性による差別自体は、社会的に容認されているのが現状である。 性差別を禁止するなら、たとえば東京女子医科大学のような、女性にしか門戸を開いていない大学は許されない、ということになる。 一方で、私の知る限りでは、公然と男性を優遇している医学科は、日本には存在しない。 現状では、少なくとも建前上は、門戸がより広いという意味において、女性の方が男性よりも医学科に入りやすいのである。 今回の件についても、東京医科大学が募集要項において男女別の定員を設けるとか、合否判定において男女に差を設けることを公言していたならば、 これほどの問題にはならなかったであろう。 密かにやっていた、ということが悪いのである。
なお、女性医師は離職や休職しやすい、というのは嘘である。 現に我が北陸医大 (仮) では、あたりまえのように男性医師が長期育児休暇を取得している。 病院長も「そんなの、あたりまえだろ」と言っている。 離職についても、別に、男性医師が生涯にわたり奉公するということはない。 むしろ、気軽にホイホイと、他の病院に移籍している。 私だって、北陸医大に永住するつもりはなく、あと数年もすれば、よそに移るつもりである。 もし北陸医大が、病院を長きにわたって支える戦力、と思って私を採用したのなら、とんだ見込み違いであった。
外科などの厳しい環境を支えるには、肉体的な意味で男性医師が望ましい、というのも嘘である。 というより、男性医師だって、キツい環境とユルい環境であれば、わざわざ前者を選ばない。 どの診療科に進むかの選択権は、現状では完全に医師側にあるので、男性医師を増やしたからといって、キツい職場に行く医師が増えるわけではない。 そもそも、外科に関心のある女性医師や女子学生は、実は少なくないのである。 彼女らが結局外科に行かないのは、理不尽な労働体制や異常なセクハラが主な理由であろう。 男女比をどうこうするより、むしろ、「4 日連続当直だ」などと「キツさ」を自慢する異常な風土を改善し、横行しているセクハラを厳しく取り締まるべきである。
理解できないのは、東京医科大学が、このような操作を行っていた本当の理由である。 大学は、あくまで教育機関であって、現状でいえば、医学科は職業訓練学校である。 卒業生が自大学の病院に入職するとは限らないのだから、大学病院の人材を確保する手段として大学入試で操作をすることは、効率の良い方法ではない。 医師が足りないなら、よそから招聘すれば良いではないか。
それとも何か。東京医科大学というのは、よそから医師を呼び込むことができないほど、魅力の少ない大学なのか。
ずいぶんと間があいた。たいへん、良くないことであるが、これには、2 つの事情がある。
第一に、初期研修を終えてからというもの、病理診断業務に追われているという事情がある。 ばらつきはあるが、概ね、生検症例が週に 15-20 例程度、手術症例が 10 例程度であり、その他に他の市中病院からの受託症例が月に 15-20 例程度である。 私は、専門医資格も持たぬ病理のヒヨコであるから、むろん、単独で病理診断を行うことはない。 自分の担当症例について、「切り出し」を行い、標本をみて診断し、報告書を記載するが、この段階では未確定である。 上級医 (主として教授) の確認を受けてから、病理診断報告書として確定されるのである。 私がおかしな診断を書いていれば、その上級医による確認の段階で指摘される。 だから、臨床医の諸兄姉は、3 年目のヒヨコがみているからといって、不安がる必要はない。
なお、このあたりの体制については、大学によっても大きく異なるようである。 学生時代からの友人で、現在は中部地方の某大学にいる某君によると、かの大学では 3 年目のヒヨコには、当初は生検症例は診させないらしい。 その理由はいろいろあるだろうが、一つには、生検症例は検体が小さく、診断が難しいということがあるだろう。 また、切り出しも当初は補助につくだけで、自分が主体となっては行わないという。 私は研修医修了間際の 3 月から切り出しを自分が主体となって行い、わからない点がある場合のみ上級医を呼ぶ方式であるから、だいぶ違う。 我が北陸医大 (仮) のような「習うより慣れろ」方式の促成栽培は、実践的ではあるものの、我流で不適切な技法を身につけてしまう恐れがあるから、注意が必要である。 某大学のような手厚い指導体制は、実戦投入されるのは遅くなるものの、適切な指導者にさえ巡りあえていれば、確実に優れた病理診断医が育つであろう。 私が指導する側にまわった暁には、我が大学においても、そのような教育体制を確立したい。
病理漫画「フラジャイル」では、病理医一年目の宮崎医師が、一日に診断できる患者数について「10 例程度」と述べていたが、これは妥当な数である。 というより、宮崎はむしろ優秀な部類であって、私は、丸一日診断に専念しても、平均すれば 10 例には届かない。 切り出しのある日などは、2 例診断するのがやっと、などということもある。 また、6 月からは、前述のように、市中病院における非常勤医としての勤務も始まった。 これらの事情から、上述のような週に平均 30 例程度の診断を遂行するには、平日だけでは、確実に足りないのである。
第二に、私生活上の問題もある。 昨年の暮頃から、まぁ、いろいろとあって、いろいろと休日に用事があり、でかけることが多い。 年末頃には落ち着く見込みなので、具体的には、その頃に書こうと思う。
先月から、某市中病院の非常勤医を兼務している。 契約上は北陸医大 (仮) とも非常勤医としての契約なので、形式的には「定職に就かず、アルバイトをかけもちしている」状態である。 むろん、それは建前の話であって、実態としては大学病院の常勤医であるし、そのコネで市中病院の「アルバイト」を紹介されているのである。
この市中病院の「アルバイト」というのも、本当の意味でのアルバイトではない。 なにしろ、私は専門医資格も持たない駆け出しの病理医に過ぎず、診断業務については、ほとんど戦力にならない。 むしろ、いろいろと教えてもらうために、学ぶために市中病院に出向いているのである。
それなのに、私には、市中病院から法外な給与が支払われている。週に一回、赴いて、日当 7 万円 (交通費別) なのである。 仕事らしい仕事といえば、少し切り出しをするだけで、実働は一回 2 時間程度である。 それも、私がやるから 2 時間なのであって、熟練者であれば 1 時間で終わる程度の仕事である。 あとは、自分で標本をみて、後で、その市中病院の常勤病理医からコメントをもらう、という「仕事」だけである。 常識的に考えて、7 万円の仕事内容ではない。
要するに、これは給与名目の奨学金なのである。 研修医の「給与」と、何ら変わるところはない。 3 年目の医師になって、奨学金の出所と額が少し変わっただけのことである。
むろん、これは我々の能力や将来に期待して、社会や病院が奨学金を支給しているわけではない。 単に医師免許という資格が物を言っているだけであって、我々が優秀なわけではない。 そのあたりを、勘違いしてはなるまい。
昨日紹介した『札幌農学校』には、野心と大志に満ちた文章が多い。 しかし、この書物が刊行されて百余年が過ぎても、なお、北海道大学が京都大学や東京大学を遥かに凌駕し、東洋あるいは世界の学問の中心となり、 「東西文明史に少なからず影響を与へん」というほどの偉大な大学になったようには、思われない。 なぜだろうか。
この『札幌農学校』の「第四章 札幌帝國大學設立の必要を論ず」は、次のように始まる。
生物進化の大勢は顕然としておおうべからず。社会は一種の有機体なり。 十九世紀の文明は古来世界文明史が未だかつて達する能はざりし頂点を究めたりき。 しかも文明進化の大勢はこの十九世紀をもって目的の彼岸となさず。 今より数年を出でずして二十世紀生れんか、世界の舞台は旧世紀を伴て一転し去り、文明は新舞台に立てまさに大に活動すべし。 しかして文明活動の日は平和的生存競争の最も激烈なるの秋なり。 しかりといえども文明の為す所は必しも善ならず。 人類の平和は遂に戦争を尽滅する能はず。 人種の競争はますますその度を高むべく老国の分裂は一掬の涙を受けざらん。 しかり、強はいよいよ暴威を逞うし、弱はますます塗炭に苦まん。 今や文明の東漸と共に、東洋の天地は世界大勢の渦輪中に捲込まれ、人目集注の焦点となり、二十世紀文明の活動場と化し去りぬ。 この時に際し帝国国民たるもの、耐忍奮励し、富強の実を挙げて以て国家百年の長計を建てざるべからず。
この段落の前半は名文である。人類進化を論じ、平和と戦争を語り、未来の課題を描いている。 が、最後の一文において、論題を大日本帝国内部の問題に限定してしまった点が遺憾である。 すなわち次の段落以降は、我が帝国の繁栄のために札幌帝国大学を設立すべきである、というような矮小な議論に終始し、 学問の発展、人類の繁栄のため、という視点を失っているのである。 ただし、昨日の記事で引用した格調高い文章は、実は、この「第四章」の末尾にあたる。 すなわち著者は、帝国大学設立を論じるために、やむなく、低俗で志の小さい議論を展開したが、 それが札幌農学校の名誉を傷つけることを恐れために、世界に言及してから論を終えたのであろう。 著者は、札幌帝国大学設立を論じる中で、次のように述べている。
人或は曰はく、普通教育の必要は則ち可なり、しかも高等教育の必要を説くに至りては、機の未だ熟せざるを如何せん。 如かず、帝国大学の養成せる人材を誘ひ来りて、以て北海道の柱石たらしめんにはと。 ああ、これ殖民の何たるを解せざるの論なり。 それ北海道の事業たる、何れも草創に属し、その経営の困難なる実に内地人の予想外に出づ、深く愛土の精神ありて、百折不撓、千挫不屈、以て事に当たるに非ずんば いずくんぞよくその功を収むべけんや。 この種の人材は之を他郷の客将に求むべからず、須くその土の設備にかかる大学が養成したりし健男子ならざるべからず。 何となれば後者は永くその土の新空気を吸ひ、その土の山川気候に慣れ、愛土の念、有為の心、他に比して大なるものあればなり。 かつ北海道は内地とすこぶる風土を異にするを以て、この地の開拓者を養成せんには、須くこの地特有の学術を授くる大学の組織あらざるべからず。
すなわち、北海道開拓のための人材を確保するには札幌帝国大学が必要だ、と主張しているのである。 福沢諭吉が実学を優先したのと同様である。 遺憾ながら、これは、学問の本道にもとる。 福沢にせよ札幌農学校にせよ、眼前の課題あるがゆえに、断腸の思いで実学を優先したのではあろうが、それは結果として基礎学問を軽視することになる。 その態度は、百年の後には、とり返しのつかぬ差となって顕れる。 著者は、次のようにも述べている。
北海道は四隣寂寞として学生の誘惑に価するもの少く、外に出でて交る所は独り雄渾なる天然あるのみ。 これ北海道に大学を設立するの適当なる所以なり。
今の札幌には、すすき野がある。学生を誘惑する魔手が、そこかしこに満ちているのである。 この環境にあって、学問を修め、道を究めることは、容易ならざること明白である。
それを思えば、我が北陸医大 (仮) は、この二十一世紀になっても、なお四隣寂寞として学生の誘惑に価するものが少ない。 実は、この『札幌農学校』の文中にある「札幌」を全て「北陸」に置き換えると、現在の北陸医大を論じる文章として、何ら違和感がない。 我々の時代は、これからである。
札幌農学校出身の新渡戸稲造は、五千円札になった。 ならば北陸医大の我々も、少なくとも紙幣の肖像画ぐらいには、なれる。
札幌で開催された病理学会が終わったのは 6 月 23 日であるが、飛行機の便の関係上、私が札幌を後にしたのは 6 月 24 日の昼である。 24 日の午前は、北海道大学、特に、その博物館を見学した。
北海道大学敷地を見学したならば、ぜひみるべきは、新渡戸稲造の胸像である。 新渡戸は札幌農学校の卒業生であり、後に、札幌農学校教授、京都帝国大学教授、東京帝国大学教授などとして教育や政治の面で活躍した。 主として明治期に活躍した教育者として知られるが、後藤新平と一緒に台湾で仕事をしたこともあるらしい。 新渡戸を紙幣の肖像として印刷することは、この国が教育をいかに重視しているかを示している。 というより、制定当時の官僚達が、そういう思想を持っていた、という方が正確であろう。 その精神を、現在の日本の人々が覚えているかどうかは、知らぬ。
北海道大学の敷地内の芝生には、火気の使用を禁ず、という趣旨の立札もあった。 芝生で焼肉パーティーなどを行うことを禁じているのであろう。 この立札の一つに、「禁止することを禁止する」という落書きがなされていた。これを、どう考えるか。
ひょっとすると、泥酔した学生が立札を引き抜き、勢いに任せて書き込んだだけの、くだらない落書きかもしれぬ。 しかし、ここが天下の北海道大学であることを思えば、もう少しばかり、高尚な精神が込められていると推定するのも悪くなかろう。 すなわち、我々は自ら律し、事の善悪は、己の良心と精神に基づいて判断する。当局の命令を受けるいわれはない、という気概の表明である。 札幌農学校の精神を受け継ぎ、北辺の地で学業に勤しむ若者であれば、そのくらいの志は、持っていないはずがない。
札幌農学校の精神といえば、はなはだ遺憾であったのは、博物館である。 私は 9 年か 10 年ほど前に、一度、北大博物館を訪れたことがあり、その精神の崇高なること、学問への情熱の盛んなことに、いたく感激したものである。 当時、札幌農学校の歴史を紹介する一室には、明治 31 年に札幌農学校学芸会が編纂し、裳華房から出版された『札幌農学校』という書物から引用された 次のような文章が紹介されていた。 現代人に読みやすいように漢字などは適宜挿し替えて引用するので、原文をみたい人は、 北海道大学出版会から刊行された復刻版 (ISBN 483295072X) を読まれよ。
教育の精神は須く世界的たらざるべからず。 教育に党派なく、また人種血族なし。 教育に藩閥なく、また仇邦敵国なし。 たとえ北海道拓殖上の政策よりして、札幌帝国大学を起すといえども、教育家の精神に至ては独り北海道と云はず、宜しく日本全国を裨益することを思はざるべからず、 否また日本全国に留らず、汎く世界を教育し、将来東西文明史に少からざる影響を与へんことを予期せざるべからず。 それ一国教育の中心は必しもその政治的中心と一致せず。 米国第一流の大学は、必しもワシントンに在らずして、多くニューイングランド州に在り。 英国第一流の大学は、必しもロンドンに在らずしてオクスフォード、ケンブリッジ、エディンバラに在り。 その他列強有名の大学は、必しもその首府に在らずして、かえって偏僻の地に多きゆえんのもの、教育の中心と政治の中心とは、相一致するを要せざるを見るに足らん。 吾人は信ず、我北海道は実に学問の地たり。 未だ二十世紀の中葉に至らざるに、嶄然として頭角を顕はし、東洋の北極星と成り、学術の効果を遠近東西に分与するの日あらんことを。
なお、この時点で札幌帝国大学 (あるいは北海道帝国大学) の設立は、決定されていない。 いわば札幌農学校は、僻地の小さな国立専門学校に過ぎない。 その専門学校の学生が、この格調高く、志と情熱に満ちた文章を著し、後世に遺したのである。
札幌農学校教頭として有名なクラークは、boys, be ambitious の言葉で知られている。 この ambition というのは、金持ちになるとか、出世するとか、名誉を得るとか、世間から賞賛されるとかいう意味ではない。 正しく生きること、人と社会のために働くこと、そのために能力を研き、学び修めることをいう。 これは私個人の見解ではなく、札幌農学校や北海道大学の見解でもある。
ところが、その設立当時の精神をうたった展示室は、今回の訪問時、ノーベル賞とかいうものを与えられた某という教授の業績を宣伝する内容に改装されていた。 北海道大学における地道な研究が世界に認められた、として、誇るような内容であった。
賞を与えられること、世間から認められることが、北海道大学のいう ambition なのか。